絶対読んで。2ヶ月で必ず願いを叶える方法

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はじめに

とうとう100記事目を迎えてしまいました。今日は真面目な話です。

「引き寄せ」を検索してこのブログに辿り着いた方は、きっとそれぞれ切実な悩みを抱えていることでしょう。お金、仕事、健康、恋愛。なかには大きな病気をされている方や、胸を締め付ける恋に悩んでいる方もいるかもしれません。

そして、今、これを読んでいるということは、その悩みがまだ解決していないということになります。苦しみ、悩み、淡い期待を持って開いたであろうこのブログ、しかし僕はその期待に答えられていてないということです。

100記事目となりました。全部読んで下さった方はいるのかな。もしいるなら1本読む時間を5分としても、8時間以上を僕はその方から奪ってしまっているわけです。奪っているだけで、何も与えていないのです。

たとえば「1日たったの◯分で☓☓」「たった5つのステップで△△」といった記事を書くと、ぶっちゃけヒット数が伸びます。

しかし知識だけ提示して、また次のメソッドを提示という形では、いつまでも希望は実現しないのではないか、という思いもつきまとうのです。僕が望むのはヒット数ではなく、みなさんが本当に願いを叶えること。だからこそ、いろいろ試すより、ただひとつに集中して、確信に繋がる体験を得てほしいのです。

 

というキャラで行こうと思いましたが、面倒なのでいつも通りに戻ります。

まあ、要するに、100回もやってきて成果ゼロってあんまりだよね、そろそろちゃんと結果の出ることをやってみようよ、というわけです。ちなみに途中で一回「生存報告」を挟んでいるので、厳密にはこれ、99記事目です。まあ細かいことはいいんだよ。

2ヶ月で絶対に願いを叶える無理やり瞑想法

さて、当ブログでも散々、瞑想しろ、録音アファしろ、イメージングしろ、笑顔の練習しろ、ふくらはぎ伸ばせ、といろいろ言ってきましたが、とりあえず全部忘れてください

ウソです。忘れないでいいです。でも、今回のこの方法だけ、一度他のメソッド全部止めて挑んでください。今回は自信あります。これ本当にやってみて、全然願いが叶わないというなら、もう僕の言うこと信じないでOKです。

というわけで、だいぶ前に辿り着いたけど、キリの良い100回目までもったいぶって取っておいた究極メソッド、題して「瞑想しろって言ってもどうせやらないんだから無理やり瞑想状態に入る日課を作って、しかも積み重ねで効果倍増を狙っちゃおうぜ法」です。

研ぎ澄まされた集中力が奇跡を起こす

以前、高名な画家の先生にお会いしました。非常に細密な筆致で風景画を描くその先生。僕は失礼ながら尋ねました。「描いてるときって、どんなこと考えているんんですか?」と。その先生は少し考えてから、こう答えました。

「無、というのは違うかな。自分が筆になっている。あるいは神に触れている。たぶん私にとって、一筆ずつがすべて祈りなんです」

これぞ瞑想の極致です。

神の存在を感じ、その神に手を伸ばす。もちろんこのときの神とは「わしゃ神様じゃ」という白ヒゲのおじいちゃんではありません。

自然のなかに時折垣間見える意志の残滓、物理現象の裏に潜む人知の及ばぬ叡智、無と有の間に揺蕩う質量のない物質。そういう心理学的・哲学的な神。言葉を変えるならば真理。

人間が極限まで研ぎ澄まされた集中力を発揮するとき、その一端に触れることがあるのです。スポーツでいうゾーン現象に近いでしょうか。

さて、相変わらずもったいぶっておりますが、要するにこの極限の集中力を何かに向けてみましょう。それが効率の良い瞑想に繋がりまっせ、ということです。

 

ノートを一冊、購入してください。コンビニに行くとA6版という文庫本サイズのキャンパスノートが売ってますので、それの30枚綴のやつで。あとは鉛筆。ボールペンではなく、鉛筆。

そしたら、毎日2行だけ、書いてください。

1行目は、願いごとを、すでに起きたような文体で。ただし、あまり具体的でない方が良いでしょう。

恋愛なら「理想の人と出会えた」

お金なら「思わぬ臨時収入があった」

人間関係なら「人間関係が良くなっている」

健康なら「体の調子が絶好調」

といった具合。内容も字も雑で構いませんが、「良くなっている」という状況を想像しながら書いてください。

そして本題となる2行目。これは皆さん共通です。

「幸運に感謝」

この5文字だけを書いてください。大きさは気にしないで大丈夫です。

ただし、魂を込めて書いてください。

書道家が集中して筆を走らせるように、先の画家が祈りを込めて描くように。最初の横棒ひとつ、止め、跳ね、払い、すべてに全力の意識を込めて。たとえば書道家・武田双雲氏の、魂を込めた書のように。

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ちなみにこちらは弟の双龍氏。初手で筆が折れていますが、笑うところではありません。

とにかく、集中して、書きます。筆圧は自然と強くなります。文字の形にはあなたの心情が表れます。

けっこう時間がかかるはずです。僕はこの5文字を書くのに2分弱くらいかかります。

書いたら、ポケットなり、カバンなりに入れて、持ち歩いてください。別に開いて眺める必要はありません。ただ持ち歩いてください。しかし人に見られないでください。これは単純に、あやしいから。

さて、ノートですから、ページはいっぱいありますね。1ヶ月といいたいところですが、普通のノートが30枚綴なので、せっかくだから埋めましょうか。毎日書いてください。願いの部分は毎日同じでもいいし、変えなくても構いません。

1日たった2分とはいえ、ときにはけっこう面倒になります。でも、書いてください。休んでしまう日があっても、翌日は必ず書いてください。それをノートが埋まるまで続けてください。

で、だいたい2ヶ月くらい経ちます。楽しみにしていてください。書いた願いが叶っていることを。

ちなみに先に種明かしをしておくと、書くという行為から瞑想状態に移行すること以外に、文字の内容にも、画数にも、ノートにも、鉛筆にも、それぞれ全部に意味があります。

つまりいろいろ試してきたメソッドの全部盛りです。録音アファよりも能動的な作業が必要ではありますが、ぜひぜひお試し頂きたいと思います。

簡単に運気を上げる2つの方法

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はじめに

昨日は「幸運」「不運」の話でした。

運というのは起きた出来事をどう捉えるかという解釈で変わるという論。そしてより物理的次元で、運の総量というのは決まっていて長期的には均一化される。しかし人間の一生という短いスパンでみれば、幸運な人、不運な人というのは存在するのだよ、という論。

今日は、後者の方、幸運・不運というものが実在するとして、自ら幸運を掴む方法はあるのかね、という話です。

幸運を掴む方法 その1

ひとつ目の方法は、です。

ある事象が平均して起こると仮定します。たとえば完全ランダムに、1パーセントの確率で揃うスロットマシンがあるとしましょう。目が揃えば幸運が舞い降ります。

ある人はじっくりと絵柄を見定め、ここぞというタイミングを待ってボタンを押しました。限られた機会を大切にし、その1回に集中力を込めるのです。

しかし、またある人は、数打ちゃ当たるとばかりに次々とボタンを押しました。ダメなら次、ダメならまた次。

前者が10秒、後者が1秒でボタンを押すとしましょう。一定時間が経過した後、結果として、当選が多いのはどちらか。

そう、事前に完全ランダムと言いましたね。

つまり試行回数が多いほど、期待値が上がるわけです。結果として幸運を手にするのは、次々と挑戦した方です。

そして人生で起こる出来事は、少なくとも現状の僕たちにとっては完全ランダムです。素早く決断をすることが、幸運につながります。

 

たとえばナンパ師が道行く女性に次々と声をかける。

あなたは運命の女性との奇跡的な出会いを待っている。

どちらがより多くの恋をできるか。

誰でも良いわけじゃないという気持ちはわかりますが、あなたの運命の人がよそ見している間にすれ違っているかもしれません。ナンパ師の運命の人は次々と声をかけたなかに、いるかもしれない。

人生が有限であるからには、試行回数を増やすことが必要なのです。

幸運を掴む鍵は、試行回数を増やすこと。そのためには、決断を早めること。それがひとつ目の方法です。

幸運を掴む方法 その2

別にナンパしなはれ、というわけではありません。迷っているヒマがあるなら決断しなはれ、というだけです。決断の回数が多いほど、期待値が高まる。それは単純な確率論の帰結です。

しかしスピリチュアルに片足を突っ込んだブログとして、力技だけではあまりに不親切です。だから、もうちょっと夢のある方法です。夢はあるけど、夢じゃない。ちゃんと効果はあります。

そもそも運は、「運気」ともいいます。「気」であるからには、体内や空間を循環し、事象や感情になんらかの作用を及ぼしているといえます。その「気」の多寡が運に影響すると仮定します。ならば、取り込めば良いじゃありませんか。

たとえば森林浴をして、心地よい空気を胸いっぱいに吸い込む。気分が良いですね。気分が良いという「感情」は良い「行動」に繋がるんでしたよね。良い「行動」は良い「思考」を生み、再び良い「感情」に繋がりますね。森林浴ってなんだか良さそうですね。

でも、森林から取り込んだものって何でしょうね。酸素かな? マイナスイオンかな? そのへんにヒントがありそうですね。

つまり外から内臓に何かを取り込むときは、大きく深呼吸をするように、心(あるいは脳)に見えない何かを取り入れたいなら、まず自分の心をオープンにする必要があるのです。

腕組みをしない。笑顔でいる。挨拶をする。姿勢を良くする。

ただの生活指導のようですが、これらを意識的に実行することで、あなたの心は外に向けて開かれ、良い運気をたくさん取り入れる。結果、幸運の状態にシフトするのです。

一元的に見れば「そりゃいつも笑顔で明るくオープンマインドの人がいたら、人も寄って来るだろう」と思うでしょう。でもね、それこそが「運気」なんです。

人を惹きつけ、朗らかに話をし、誰かを明るい気分にさせる。スピリチャルな話を抜きにしても、そんな人には良いこと起こりそうな気がするでしょう?

あとは神社にお参りをするのも、心をオープンにする働きがあるようでおすすめです。神様に願いを伝えるときって、心は丸裸ですからね。個人的には御朱印コレクターなので、ことあるごとに神社にお参りします。心が洗われ、運気が良くなる。こんな素晴らしい場所が、日本中どこにでもあるのですから。

 

 

 

幸運・不運の考え方について

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はじめに

運。なんでしょうね、これ。幸運、ツイてる、ラッキー。不運、ついてない、アンラッキー。運が良いとか悪いとか、自分ではどうにもならないことなのに、人生のなかで非常に重要な役割を果たしているみたい。そんな見えないものに一喜一憂する僕たち。

というわけで、本日は運について。

幸運・不運は捉え方次第?

幸運、不運の境目は「起きた出来事をどう受け止めるか」という心理学的解釈によるという考察があります。

有名な話ですが、パナソニックの創業者である松下幸之助翁は、成功の秘訣を問われたときにこう答えたそうです。

「私は体が弱くて、学がなかった」(実際の氏は関西弁ですが)

普通に考えればマイナス、ともすればコンプレックスになることです。しかし氏は続けます。

「体が弱いからどんどん人に頼った。結果、有能な人がたくさん集まった。学歴がないからわからないことは何でも尋ねた。結果、幅広い知識が身についた」

これが松下幸之助翁のいう「陽転思考」です。物事のどの側面にスポットを当てるか。自分で動かせない出来事を、どのように受け取るか。それが幸運、不運の別れ道というわけです。

事実、松下幸之助翁は採用面接で「自分で運が良いと思うか」という質問をし、「良いと思う」という人を積極的に採用していたとか。これは物理的な幸運、不運を問うのではなく、出来事を受け止める思考の方向性を尋ねる質問だったのでしょう。

たとえば、買ったばかりの靴を履いて出かけた日に、予想外の雨が降って靴が濡れてしまったとします。

ある人は、新品の革靴が濡れてしまった不運を嘆くでしょう。

しかしある人は、革靴の水濡れケアについて検索し、実行し、ついでに他の靴のケアもして思うのです。残ったのはすっきりとキレイになった靴たちと、靴の保全の知識。雨が降る前よりもむしろプラスである、と。

運のより物理的な捉え方

また、近年は運について、より物理現象的な視点で研究もなされ、一定の成果を出しているようです。つまり、幸運と不運という物理的因子はたしかに存在する、というわけです。そして、確率論に基づくなら、その物理的な幸運・不運の発生確率は均されるのです。

これは幸運・不運のエネルギーが同一(たとえば1000円拾う幸運と1000円落とす不運のように)である場合。結果として、それらが起きる確率は50:50に近づくというもの。たしかにこれは当然といえそうです。世界中すべての人が同時にコインを投げた場合、表と裏の割合は50:50に近づき、回数を繰り返すごとにその確率は収束していきますよね。幸運が表、不運が裏なら、それが半々になるのは確率論の基本です。

しかし個人に当てはめてみると、そうとばかりはいえません。

なぜなら確率が収束するには、人の一生は短すぎるから。
たとえば今度は世界中すべての人が、生まれてから死ぬまで1日に1回ずつコインを投げるとしましょう。全員の結果の統計を見れば、今度も裏表が半々に近いでしょう。

しかし個人単位で見てみれば、表ばかりが続く人、裏ばかり出る人もいるはず。なかには人生ずっと裏だけ、という人だっていることでしょう。

つまり試行回数を増やせば半々に収束する幸運不運も、個人の人生という短いスパンで見ればどちらかに偏ることは当然なのです。ついている人、ついていない人というのはたしかに存在するのです。

ならば、ただ手をこまねいていてはいけませんね。

引き寄せましょうよ、幸運を。

というわけで次回は、幸運を引き寄せる方法について考えてみます。

 

 

幸せサイクルを生み出すたった10秒の行動

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はじめに

引き寄せに役立つのは「感情」ですが、「感情」は自分でコントロールできないため「思考」と「行動」から、遠回りに動かしていくしかない。

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では、良い「感情」を生み出すのに適した「行動」とはなんだろうね、というのが前回のお話でした。今回はその具体的な「行動」を考えてみます。

笑顔を作るという行動の長所と短所

「笑顔になる」という行動は、短期的には良い「思考」「感情」を生み出すのに非常に効果的です。朝晩に鏡の前で笑顔を作ってみるのは、とても有効な方法です。

しかし、いつも笑顔ではいられません。仕事中や授業中にずっと笑顔の人がいたらかなり怖いですし。

また、ネガティブな心理状態のときに笑顔を作るのは、かなり無理のある行為です。これでは昨日お伝えした「無理やり感情を作る」という行為と大差ありません。

さらに「笑顔」と「幸せ」は一般的にも密接な関係があり、脳内においても非常に距離が近いため、「笑顔という行為で幸せという感情を生む」という作業は短期的かつ表面的になってしまいます。もちろん、毎日続ければ効果はありますし、簡単にできるという点でも、日常的に心がけるべきことではあります。

 

さて、さんざん引っ張ってきましたが、笑顔よりも効果的で長期的なプラスサイクルの起爆剤となる「行動」とは!?

 

ふくらはぎを、伸ばします。

 

ここがライブハウスならビール瓶でも飛んできそうですが、ちょっと聞いてください。

ふくらはぎは第二の心臓といわれるほど、体内の血流循環に大切な役割を果たしています。しかし現代は、座っている時間の増加や女性のヒールなどの影響で、その役割が減退しているのです。

さらにふくらはぎが退化することにより姿勢が前傾になり、骨盤の位置がずれ、お腹周りの肥満の一因となっているという研究も。おそるべし、ふくらはぎ。

と「ためしてガッテン」みたいなお話ですが、きちんと心理的効果もあります。以前にも姿勢を良くすると自信がつき、それが引き寄せに繋がるという話をしました。

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そして血流が良くなることで心の悩みまで解決するという論は、昨年ベストセラーになった『血流がすべて解決する』との書籍にある通り。本のなかでは血流改善で家族関係まで良くなったといった例が示されています。

自信が生まれ、心が軽くなる。それがふくらはぎひとつで解決できるのです。「ふくらはぎを伸ばせば全部うまくいく」というわけです。

ふくらはぎストレッチの方法

方法というほど大層なものではありませんが、ふくらはぎの効果的な伸ばし方について。

ふくらはぎストレッチ用に傾斜のついたクッションやストレッチボードが売っていますので、それを使うのが早いのですが、器具を使わない場合。

まず、つま先立ち、かかと立ちを交互に10回ほど繰り返します。つま先立ちは、真上に伸び上がるように。かかと立ちはつま先を持ち上げてかかとの真上に重心を移し、ふらつかないように。

次に雑誌でもクッションでも構いませんので、台の上で10cmほどつま先が高くなるようにして直立します。

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このときふくらはぎが痛むようでしたら中止。ただ、気持ち良い範囲内で、重心を真上に持ち上げる意識で直立します。これにより姿勢が正されて、骨盤の位置も矯正されます。

これを10秒ばかり。毎日続ければ姿勢も血流もよくなり、気づけば「思考」も前向きに変わってくることでしょう。ちなみに引き寄せのメソッドをあれこれ同時進行するのはおすすめしませんが、これは体調管理にも良いので併用可です。

 

思考、感情、行動のサイクルをポジティブに変える

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はじめに

昨日の記事のなかで、脳を騙して手っ取り早く幸せな心の状態になるにはVRがうってつけ!と思って「お金持ちを体感するVR動画」とか探してみたのですが、そんなものはありませんでした。誰か作ってください。

しかしがっかりしてばかりもいられません。というかVRという近道がなくとも、僕たちは自分の脳を騙して、幸せな気分を先取りすることができるのです。それを可能にするのが想像力です。

幸せ気分を先取りする

ちらりと言いましたが、幸せな気分を先取りというののが、引き寄せのポイントっぽいですね。引き寄せは願いを叶えるおまじないではなく、似ているものを引き寄せる法則。お金があるところにお金が集まり、類は友を呼び、忙しいときにはより忙しくなる。泣きっ面に蜂という不幸の連鎖だって、同様です。だから幸せな気分なら、幸せが集まってくるよ、というのも納得です。で、その幸せを引き寄せるために、先取りして幸せな気分になりましょうね、というわけです。自分の脳を騙すのです。

さて、VRという脳を騙すことに特化したガジェットを抜きにしても、脳を騙すことはそう難しくありません。以前、下記のような例でお伝えしたこともありますが、脳って意外と単純ですからね。

www.hikiyose.tokyo

このように、脳というのはまず五感から入る情報を頼りに、それを記憶と照らし合わせながら現実を作り上げるのです。だから五感の情報をちょちょいといじって、かつ意識的に現実を構築することで、幸せな気分をつくることができます。

ただし間違えてはいけないのは、以前の認知行動療法の話でお伝えしたように、幸せという「感情」は「思考」の副産物として生まれるものです。つまり意識して無理やり「感情」を作り出そうとしても、それは表面的でしかありません。「うわっ超楽しい!ひゃほう!(真顔)」という状態では脳は騙せないのです。そうではなく、楽しいという「感情」が湧き立つ「思考」が必要であり、そのために「行動」が必要なのです。

 

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このような相関関係になっている「思考」「感情」「行動」をポジティブなサイクルにしていくことが、幸せな気分を先取りする秘訣といえそうです。

幸せサイクルのスターター

しかしこれだけでは「宇宙がなんちゃらかんちゃらでいつもハッピー☆♪」とか言ってるやたら改行の多いブログと変わりません。なんちゃってね。本当すみません。

実際、気分を上げるという意味で、改行ブログは優れているのです。それを読むという「行動」が起爆剤となり、良い思考、良い感情が生まれる。それが加速しながら、徐々に良いサイクルになる。幸せな気分に浸るための役割を、改行ブログは立派に果たしているわけです。

そして、ここにヒントが潜んでいます。上記の図のうち、もっとも引き寄せに効果を発揮するのが「感情」です。「感情」に強いエネルギーがあることは、何度か言及した通り。ただし「感情」はもっとも自発的コントロールが難しい部分でもあります。だから、急がば回るのです。図のように、「思考」「感情」「行動」が結びついていることは、自発的「行動」によって、「感情」をコントロールできることを意味します。ならば「行動」すればいいじゃない。

というわけで次回は、たった10秒のある「行動」でポジティブな「思考」を生み出す方法です。

実在は脳が決める

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はじめに

ここ数日、幽霊や超能力のお話に寄り道して参りましたが、もちろんちゃんと理由があります。なんともまどろっこしい展開ではございますが、ここは「急がば回る引き寄せ」ですからね。時間はかかるけど、ちゃんとゴールに着きます。ご安心ください。

さて、幽霊と超能力のお話(宇宙人の話は確率論なので別)で、着地点にしたかったのは、実在とは何かという点です。質量の有無、他者との共通認識の有無、あるいはエネルギーの有無、物理的実在を定義する方法はいくつもありますが、究極的に実在とは、「脳が、そこにあると認識する」ことにほかなりません。

「あるったらあるんだよ」という暴論にも聞こえますが、この前提に則ることで、引き寄せは次なるステージに達します。

実在とは、脳が「そこにある」と判断すること

次なるステージの前に、あるったらあるんだよ論を少し補強しておきましょう。

たとえばVR(ヴァーチャル・リアリティ)ゲームの話。一時期の熱狂が若干落ち着いてきましたが、人気ですね。あちこちに気軽に体験できる施設も誕生しているようです。そのなかに、「高所恐怖SHOW」という名前だけで内容がわかっちゃうゲームがあります。

vrzone-pic.com

東京にある施設内で、VRギアを装着して、はい、スタート。目の前に映し出されるドキドキの高所映像のなか、勇気を出して一歩踏み出してみましょう、というゲームです。で、予想通り、プレイヤーはなかなか足を踏み出すことができないのです。

おかしいですよね。理屈ではこれがゲームだとわかっています。自分が新宿にいて、ゲームをしているという記憶もしっかりとあります。しかし、脳がリアルな視覚情報を採用することにより、他の命令がうまく伝わらなくなっているのです。

それだけではありません。このときのプレイヤーは、心拍数の上昇や発汗など、不随意筋(意識的に動かすことができない動作)においても、それこそ高所にいるのと同じ状態となるのです。

さあ、このとき、プレイヤーにとって、高い場所は存在しているのか、いないのか。他人から見たら変なヘッドギア付けて腰が引けてるという間抜けな姿であろうとも、このプレイヤー本人にとっては、本物の高所にいるのとなんら変わらない状況なのです。

 

また別の例では、視覚情報によって実際に感じる温度が異なるという実験が東大の研究チームにより発表されました。

news.mynavi.jp

温度とは、皮膚への刺激です。その温度自体の存在が、錯覚によって変動する。脳内における実在が、外部刺激にまで影響を与える好例だといえるでしょう。

 

あるいはもっとシンプルに、アダルティな映像をみたときに体が変化することはどうでっしょう。意識としては目の前のピンクの映像が、ただの映像であることを理解しています。しかしもっと深い部分にある無意識は、それを自らの体験とリンクさせて、体を変化させるのです。あらやだ。

脳が実在を信じやすい事例の共通点

ただし、リアリティがあればなんでも良いというわけではありません。上記の3つの例に、共通点があることにお気づきでしょうか。

そう、上記の例はどれも、個人または種の生存に関する事柄なのです。

高所から落下すれば当然、命に関わります。だから脳は、これがヴァーチャルであると理解していても、念のため安全体勢を取らせるのです。

温度の高低も同様です。温度とは、人間が生存するための必須条件。その高低を目で判断し、それを脳に伝える。それが生存に関わる事柄だからこそ、間違った情報がかえって深層意識に届いてしまうのです。

アダルト動画に関しては言うまでもないでしょう。生殖行為という種の存続に関わる事柄だからこそ、これも脳の深い部分にアクセスしやすいのです。

思い出してください。あなたの表層意識の最終目的が「幸せ」であることに対し、深層意識の究極目標は「生存」にありました。息を止めて自殺できないのはそのためですね。そしてその生存に関わることは、他の事柄よりもずっと容易に深層意識に到達するのです。

脳が信じる実在と引き寄せの関係

さて、生存に関する事柄が深層意識に届きやすいという話ですが、それはまあいいでしょう(ぶん投げ)。話は「あるったらあるんだよ」の方に戻ります。つまり「脳が存在を認識すれば、それは(あなたにとって)実在する」ということ。

ここで、初心に戻って、引き寄せの法則の基本を思い出してみましょう。

引き寄せの法則とは願いを叶えるおまじないなどではなく、似ているものを引き寄せる法則のことでした。だからこそ、「お金をください!」と願うのではなく、お金を持っている幸せな心の状態になりましょう、というわけです。

しかし、このブログでも何度も繰り返しているように、お金を持っていないからお金が欲しいのに、お金を持っている心の状態になんかなれるわけがないという問題がありましたね。その「確信」を得ることが、引き寄せにおいて一番むずかしいところなのだと。

もうお気づきですね。お金を持ってる心の状態、なれますよね。だって、高い所にいないのに高い所に居る心の状態になれたじゃないですか。同じことです。

脳(心)が実在を信じれば、所持しているときと同じ心の状態になれるのです。その心の状態こそが「確信」であり、それが難しいんだよという話ですが、ここではとりあえず「可能である」ということをご理解頂きたいと思います。

 

 

怖い話と超能力について

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はじめに

なんだかすっきりしない天気のまま夏休みも終わってしまった学生の方へのエールの意味を込めて、今日は怖い話をします。するったらします。あまり深く考えないでください。

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ずーっと以前のことですが、僕はオートバイが好きで、いわゆる走り屋?的なことをしていました。その節はご迷惑をかけてすみませんでした。

とりわけ、誰もいない夜明けの工業地帯をかっ飛ばすのが好きで、早起きしてはそんな場所に出かけていました。

ある冬の朝。まだ夜も開けきらない時間、ぽつりぽつりと灯る街灯だけが頼りの、路地も交差点もない一直線の産業道路、猛スピードで走り去る景色。そのとき、若き日のド馬鹿な僕は、ふと考えました。

「目を閉じたらどうなるのだろう?」

エンジンの爆音で、耳はすっかりおかしくなっています。冬の冷たい風に打たれて、皮膚はとっくに痺れています。五感のなかで、視覚だけを頼りに駆け抜ける道。その視覚を遮断し、五感全部がなくなるとどんな世界が待っているのだろう。

何度も走り慣れた道です。この時間は人っ子ひとりいないことを知っています。信号も交差点もなく、道は一直線です。ちょっとだけ。本当にちょっとだけ。僕は薄暗い道の上、目を閉じました。外部と接する感覚すべてを遮断した、本当のひとりぼっちです。

どれくらい時間が経ったのでしょうか。

5秒か、3秒か、もしかすると1秒くらいだったかもしれません。ふと僕は、自分が花畑の中にいるような気分になりました。黄泉の国のお花畑という臨床体験ではありません。猛スピードで走り抜ける中、突然、むせ返るような強烈な花の匂いを嗅いだのです。

驚いて目を開くと、目の前には路肩に停車した工事車両が迫っていました。急いでブレーキをかけ、間一髪で急停止。あの花の匂いがなかったら、僕はきっとこの工事車両に衝突して死んでいたことでしょう。

しばし動悸がおさまるのを待ち、僕はその工事車両の後ろにバイクを停めて、さっき花の匂いがした当たりまで歩きました。あれだけの匂いがしたのだから、きっと一面の花畑が広がっているはずです。

しかしどれだけ戻っても、花畑は見当たりません。不思議に思いながら踵を返す僕の目に、ふと小さな花が映りました。

それは交通事故の現場に供えられた、枯れかけた小さな花束でした。顔を近づけてみると、かすかに、本当にかすかに、さっき僕を助けてくれたあの花の匂いがしました。

超能力の論理的解釈

というわけで何故とつぜんこんな話をはじめたかというと、そこにひとつの示唆が潜んでいるからです。この出来事を「そこで亡くなった方が教えてくれた」という心霊現象的に解釈することもできるでしょう。

しかしより現実的に考察すれば、「他の感覚が遮断されたことにより、一時的に嗅覚が鋭くなった」という解釈も成り立ちます。もちろん、タイミングや場所などさまざまな偶然が潜んでいて、そこに超自然的な何がしかの介入も考えられます。しかし、超常現象抜きに理解しようとするなら、やはり嗅覚アップの方を採用したくなります。

で、なんの話かと申しますと、昨日の宇宙人と幽霊の話を受けて、「じゃあ超能力はどうなのさ?」という声が聞こえてきそうだったので(予想)、先手を打ってお答えしようというわけです。遠回りですね。なお冒頭のお話はフィクションとお受け取りください。

臨機応変な脳の働き

つまり、脳の働きというのはそれほどフレキシブルですよ、ということです。必要に迫られれば通常以上の力を突然発揮することもある。火事場の馬鹿力というのも同様ですね。

さらに以前の記事で思考の可視化について「脳波は微弱ではあるものの、外部に発信されている」という話もありました。もし「力が強い」とか「頭が良い」というような人間の個性のひとつとして「受信する能力に優れている」という人がいれば、この微弱な電波をキャッチすることも可能でしょう。それがいわゆるテレパスという才能なのかもしれません。

で、最終的に何を伝えたいかといえば、超能力というのはあってもおかしくないよ、人間の脳にはそれくらいの潜在能力があるよ、だから引き寄せだってあるよ、という話です。いつも使い切れていない脳の潜在能力を発揮すれば、あなたの願いを叶えることなんて、きっと簡単なのです。