集合的無意識による願いの物質化の工程

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はじめに

前回までは集合的無意識の存在場所と存在理由について考えてみました。

今回はそれらを踏まえた上で、なぜ集合的無意識が引き寄せに繋がるか、という点を考えてみたいと思います。

当ブログでも以前に一度、同テーマの文章を書いたことがあるのですが、当時と若干ですが理解の変化が生まれております。よって、改めて考えてみます。

 

思考現実化の工程 

思考が現実化する。そういわれると「思考が具現化・物質化する」という風に捉えがちですが、それは違いますよ、というのが以前の解釈でした。いくら脳内で考えたところで思考がダイレクトに物質化なんてするはずがない、と。

しかし今は、思考は光というエネルギーであり、密度の高いエネルギーは質量に変換されることを考えると、あながちゼロではないのかな、とも思っています。ただし非常に高密度のエネルギーが必要になるため、やはり現実的ではないとは思いますが。

それでは、より身近な解釈でいうなら、思考はどのように現実化するのでしょうか。その秘訣が集合的無意識にあります。人類の叡智、つまり情報です。

 

思考→情報→物質

 

という工程を経るわけです。以前はロレックスの腕時計を例にしてみました。すなわち

①「ロレックスが欲しい」と願う

②「福引で当たる/突然もらう/買うのにちょうど良い臨時収入がある」

 

というドラマチックな現実化だけが引き寄せではありません、ということ。

 

 ①「ロレックスが欲しい」と願う

②ロレックスに関する情報が次々と集まってくる

③その情報のなかで「分割60回まで無金利キャンペーン」をやっていることを知る

④「月々1万円くらいなら捻出できるかも」と考える

⑤ついに購入する決断をする

 

という地味な流れであろうとも、それも引き寄せなのです。だって「ロレックスを得る」という結果は同じなのですから。

そして二番目の②における「次々と情報が集まってくる」部分が、集合的無意識によるものであるというわけです。

もちろん地味な引き寄せばかりではありません。情報のなかには、棚ボタ的に得る方法だってあるかもしれません。さらに大きな願いの場合は、地味であろうとも生活に大きな変化の出る情報があるかもしれません。

生存と幸福が対立しないための願い方

しかし、そんな大きな変化を得るためには、それだけ集合的無意識から大きな情報を受け取らなくてはいけないわけです。

集合的無意識は願いを叶える方法として、日常から変化の少ないことから順に提案してきます。これはあなたの無意識が常に発し続ける「生存」という願いと矛盾を起こさないため。だって昨日も一昨日も生きてきたから今日のあなたがいるわけです。つまり昨日や一昨日と変化のないように生きることが、あなたの「生存」には最も都合が良いわけです。

では、その日常を越えて、大きな変化(の情報)を受け取るためにはどうすれば良いのか。

それは、より強く、無意識に願いを刷り込むことです。叶った気持ちになる。瞑想をする。実際に触れてみる。録音アファをする。もろもろ言われる引き寄せのコツは、すべてこの「無意識に願いを刷り込むため」に存在しているのです。

 

ということを知ったからといって、あなたの引き寄せが劇的に進行するわけではないかも知れません。しかし、なぜそうするのかを知っているだけで、少なくとも引き寄せを継続するモチベーションにはなってくれることでしょう。

 

無意識に、刷り込む。そして集合的無意識からの情報を待つ。

これがあなたが願いを引き寄せる、もっとも効率の良い方法です。

 

 

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集合的無意識の存在意義

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はじめに

「よくわかんないけど宇宙にあるんじゃね? あと地球も宇宙な」と、ぶん投げて終わった前回の「集合的無意識の存在場所」。まあ細かいことはいいじゃないか。あるったらあるんだよ、と言わんばかりの暴論で混乱させてしまったらすみません。

そんなわけで今回は、もう少し明確な結論の出る話です。 

集合的無意識の存在意義

突然ですが、問題です。

あなたの表層意識、つまり意識や思考が目指す究極的な目的とはなんでしょう?

 

はい、シンキングターイム!

 

 

 

考えましたか? この質問の答えを考えたのも、あなたの思考ですね。じゃあ、その目的はなんでしょうね。

 

答えは、幸せの追求です。

 

あなたの意識や思考、それらは常に、あなた自身の幸せを求めて繰り返されるのです。先の質問の答えを考えたのも「この答えが自身の幸福追求に繋がる」と考えたから。

仕事について悩むのは、お金を稼いでより良い生活をするため。夕飯のメニューについて考えるのはおいしく健康的な食事を摂るため。世界平和を願うのも、回り回って自身の安全のため。趣味について考えるのは、心穏やかに過ごすため。エロいことを考えるのだって、肉体的な幸せの追求にほかなりません。

別に利己的だ、自己中だというのではありません。自身の幸せを追求するのは、人間としての本能であり責務でもあるのです。

繰り返します。あなたの意思・思考は、あなた自身を幸せにするために存在しています。

 

では今度は無意識、深層意識について。こちらの究極的な目的とはなんでしょうか?

 

はい、また考えてください。スタート!

 

 

 

いかがでしょうか? 考えましたか?

無意識の目的は、意識と似ているようで違います。

 

無意識が究極的に追求するもの、それは「生存」です。

 

たとえば息を止めて自殺することができる人間はいません。どんなに強靭な意思で息を止めようとしても、生存を求める無意識が呼吸してしまうから。

たとえば死を望んで自ら実行しようとする人であろうと、その心臓は死の瞬間まで動き続けます。

無意識が求めるのは、あなたの意識がどう考えようとも、生存することです。

 

では、最後です。集合的無意識の究極的な目的はなんでしょう?

 

これは考えて頂くまでもございませんね。

集合的無意識はデータベースですから、存在理由に方向性はありません。しいて言うならば、問いかけに応えるということでしょうか。ふわふわが「ブーバ」、ギザギザが「キキ」、これらが人類共通の記憶だとしたころで、幸福にも生存にも影響しませんからね。引き寄せに善悪、否定肯定の区別がない、と言われるのはこのためでしょう。

 

はい、いまサラッと言いましたね。集合的無意識に方向性はなく、ただ問いかけに応えるだけである、と。

しかし、集合的無意識にリンクできるのは深層意識だけでした。

その深層意識の目的は生存でした。

つまり、現状で集合的無意識が教えてくれるのは、生存に関する情報となります。

 

ここで再確認しておきましょう。私たちが引き寄せたいのは、つまり集合的無意識に期待したいのは「幸せ」です。幸せは生存の上に成り立ってはいますが、それだけでは足りません。心から喜べる幸せこそ、私たちの意識が求めること。ならば方法は2つしかありません。すなわち、

  1. 表層意識から、深層意識を飛ばして直接集合的無意識リンクする
  2. 深層意識に「幸せの追求」を落とし込み、そこから集合的無意識に伝える

どうでしょうか? 難しそうだと思いますか?

とくに1番の集合的無意識に直接リンクするというのは、いわゆるチャネリングとか神の啓示とかそんな感じで現実的ではなさそうですよね。どちらかと言えば、自分自身の深層意識と向き合う2番の方が簡単そうです。

と言ってみたものの、実はどちらも大差ありません。そして、どちらも難しいものではありません。方法は瞑想です。ええ、瞑想です。

瞑想は「自己との対話」というくらいですから、能動的(意識的)な思考の延長です。しかし深い瞑想は、深層意識に届きその変質を促すこともよく知られています。つまり思うままに深層意識を変え、自らの意思をその先にある集合的無意識に伝えるためには、瞑想がもっともふさわしいのです。

瞑想の方法につきましては、過去記事などをご参照くださいませ(またもぶん投げ)。

 

 

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集合的無意識の存在する場所

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はじめに

さて前回のお話で、集合的無意識が存在するということ自体はご納得頂けたかと思います。

人が環境や学習により身につける知識。それとは別に、習うでも学ぶでもなく持って生まれてくる情報のデータベースがあるのです。

ではそんな集合的無意識は、なんのためにあるのでしょう。そして集合的無意識はいったいどこに存在しているのでしょう?

集合的無意識はどこにある?

さっそくまずは、存在場所から考えてみましょう。

あなたの意思や思考といった表面的な意識は、脳の活動です。だから極論をいえば、あなたの表層意識は脳にあるということになります。

そして無意識、潜在意識というのも脳の活動であることには変わりません。たとえばあなたが無意識にしている呼吸は、脳の活動がなければ止まりますよね。

だから潜在意識もまた、脳の活動といえそうです。表層意識の奥にある、見えない活動です。

 

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図にするとこんな感じでしょうか。

 

しかし、物理的にはそうであろうとも、この図だとやはり腑に落ちない部分が出てきます。それは「表層意識を内側に縮小していった先に無意識がある」と思えてしまうこと。

それはですね。

無意識という広大な海があって、そのなかの一部が顕在化したものが表層意識です。だから、イメージはこんな感じ。

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無限に広がる無意識の海原のなか、知識や経験によってなんとか形にすることができた小さな自我、それが表層意識です。

 

そして思い出してください。私たちは基本的には、表層意識から集合的無意識にアクセスすることはできません。日頃から習慣的に集合的無意識にアクセスしているという人は、そういないことでしょう。

しかし、たとえば夢のなかで、未知の情報を得たり、隅に追いやられ意識に上ることもない記憶が呼び覚まされることは誰にでもあるはずです。ときには夢で未来予知までしてしまうことさえあるのですから。これは夢という無意識から、集合的無意識にアクセスしていることを意味しています。

つまり表層意識には接しておらず、無意識には接している。集合的無意識は、無意識のさらに外側にあるといえそうです。

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こんな感じ。

ちょっぴりカラーリングが恣意的ではありますが、ここらで僕が言わんとすることをご想像頂けるかと思います。

物理的には内、意識的には外。

内側であり、外側でもある。

そう、それは宇宙です。

見たことはないけど心で描く。心で描くから存在する。

宇宙の存在そのものです。

宇宙空間を満たす未知の物質

ここで少し宇宙の話。

2017年現在、地球上で知られている元素の数は118個。水も木も鉄も生物も化学物質も、すべてこの元素で構成されています。地球上のすべてを、この元素で説明できるわけです。

しかし宇宙に目を向けてみると、そうもいきません。

「この規模の星ならこの元素があるはずだ」「この新星爆発によりこの元素が観測されるはずだ」

地球上の理論に則ったあらゆる予測は、宇宙ではことごとく当たりません。

いまでは定説となっている「宇宙が膨張し続けている」という論。しかし膨張させるための斥力(押し出す力)がなんなのかさえ、わかっていないのです。

結果、地球上の元素で説明できるのは、宇宙のたった4%といわれています。残り96%は「なんだからわからないもの」ということで「「ダークエネルギー」「ダークマター」と呼ばれています。宇宙はこのダークエネルギーダークマターで満たされているのだと。

 

ここでときどき間違いが生まれます。

「宇宙の96%はダークエネルギーで満たされている」

そう言われると僕たちはつい、暗い夜空を見上げて星を眺めてしまいます。名前に「ダーク」なんてついているものだから、光のない宇宙を思い描いてしまうのです。

しかし先に述べたように、この場合の「ダーク」は「暗い」ではなく「わからない」の意味。そしてもっと忘れがちなのが、この地球上も宇宙であることです。

 

だからダークエネルギーは、当然地球上にもあります。あなたの部屋にも満たされています。トイレにも、引き出しのなかにも、昨日の残りのカレーの鍋のなかにも、そしてあなた自身のなかにも。だってあなただって、宇宙の一部じゃないですか。仮にダークエネルギーの存在に空間が不可欠だとしても、原子の大部分は空洞だったはず。存在する余地はいくらでもありそうです。

小さ過ぎるのか、大き過ぎるのか、光を反射しないのか、はたまた存在次元が異なるのか。

理由はわかりませんが、未だ観測されない、しかし確かに存在が予見されるダークエネルギーダークマター。わからないのですから、この存在に結論を託すことはできません。

しかし、集合的無意識が確実にあり、それが人間の意識の内と外に同時に存在しうる。その前提を考えると、この見えない物質(あるいは概念?)の存在こそが、肝になってくる気がしないでもありません。

 

次回は集合的無意識の存在意義について。

 

 

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集合的無意識の存在証明

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毎度おなじみの話ではありますが、僕が引き寄せの根源だと考える存在は「集合的無意識」です。すべての人間(あるいは生物)に共通の記憶があり、そこに深遠なる叡智がある。

引き寄せを調べるにつれ、それ以外の原因も腑に落ちるようにはなってきたのですが、やはりこの集合的無意識こそが、もっとも偉大な力であるという思いは変わりません。

宇宙の誕生からすべての情報が記録されているというアカシックレコードも、この集合的無意識と無関係ではないでしょう。引き寄せの世界ではおなじみのエイブラハムやバシャールという存在へのコンタクトも、たどってみれば集合的無意識へのリンクといえそうです。

というわけで、そんな素敵な集合的無意識。以前、脳細胞の代謝や言語の創成などの例からその存在を考えてきたのですが、今日はその追加のお話です。

念のため、こちらもご参考に。

attracted.hatenablog.jp

シンプルな実験

まずはシンプルな問題から。

この2つの図形を見てください。

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上の2つの形のうち、どちらかは「ブーバ」という名前で、どちらかは「キキ」という名前です。

さあ、どちらがどちらでしょう?

 

そうですね。あなたがよっぽどの天邪鬼でない限り、フワフワの形が「ブーバ」、トゲトゲが「キキ」と思ったのではないでしょうか?

それもそのはず、日本語においては「ブヨブヨ」「フワフワ」「ブクブク」「プニプニ」など、バ行・ハ行には柔らかいイメージがあります。

一方で「キラキラ」「カチカチ」「カリカリ」「ギザギザ」など、カ行には鋭く尖ったイメージがあります。

だから上記の答えにたどり着くのは、いたって自然なことです。

ただし、母語にも年齢にも関わりなく世界中の98%の人が、同じ答えを出したことは、果たして自然なことでしょうか?

これは「ブーバ/キキ効果」と呼ばれる言語音と視覚情報の連想の一致関係のこと。これは人類に共通の記憶があることを、はっきりと示しています。

深層意識に染み付いた記憶

「ブーバ/キキ効果」は、1929年にドイツ人心理学者ヴォルフガング・ケーラーにより提唱されました。ちなみにケーラー博士はゲシュタルト崩壊でおなじみのゲシュタルト心理学の生みの親でもあります。

さて、そんな「ブーバ/キキ効果」の誕生から90年。どんな言語を使用するかに関わらず、音から連想される形は同じようになるという現象は、広く知られながらも、さほど重要視されないまま時が過ぎてきました。

ところが2017年に発表された論文によると、「ブーバ/キキ効果」は従来考えられていたよりも、ずっと深く人間の心に根付いているということがわかりました。心の深く、つまり深層意識です。

ちなみにリンク先に「ブーバ/キキ効果」の発表が1989年とありますが、おそらくただのミスです。

それはともかく、どんな実験かというと

被験者の耳にはランダムな音声、目にはぼんやりと浮かんでくる画像を写します。被験者には図形を把握できた時点でボタンを押してもらいます。

さまざまな組み合わせが生まれるのですが、「ブーバ」と「ふわふわの図形」、「キキ」と「ギザギザの図形」のセットのときのみ、他の組み合わせよりも早い反応が見られたというのです。

ちょっぴりわかりにくい実験ですが、つまり視覚や聴覚が情報をキャッチして脳に送り、それを理解するという過程を経ずに、「ブーバ=ふわふわ」「キキ=ギザギザ」という結論が被験者の反応を促したということです。

さらに言ってしまえば、概念や理論という枠を飛び越えて、まるで本能のように「ブーバ=ふわふわ」「キキ=ギザギザ」という反応が起こったということ。これは深層意識に人類共通の記憶が存在しているという証明です。

さて、そんなわけで、どうやらやっぱり集合的無意識はあるみたい、しかもかなり深い部分にまで根付いているぞ、という流れができはじめた科学界。

折良いタイミングですので、再び集合的無意識と引き寄せの関係について掘り下げてみようと思います。

 

 

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優しい人には良いことがある

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突然ですが、ひとつ当ててみせましょう。

あなたは、優しい人ではないですか?

自分のものなら靴下ひとつ買うのも悩むのに、旅のお土産や誰かへのプレゼントは迷いもなく買ったりしませんか?

誰かの悩みには真剣に頷くのに、心の中の自分の悩みを人に伝えるのは苦手だったりしませんか?

 

きっとそうなんです。優しいんです。

これを読んでくださっているのは、みな「引き寄せ」という言葉に興味を持った人でしょう。

つまり、やり切れない現実への不満を他人や社会にぶつけるのではなく、自身の内面を変えることで打開しようとしている。

そんな人たちが優しくないわけがないんです。

大丈夫、全部うまくいきます。誰かがきっと見ています。あなたの優しさは、たぶん巡り巡って、全部あなたに帰ってきます。必要なのは、ちょっとの間、待つだけ。

善意のサイクル

という新キャラで行こうと思うのですが、いかがでしょうか? 

まあね、実際そうだと思います。皆さんも心の内側、自分自身と正直に向き合ってみて、気づいていることでしょう。

そしてもしかしたら考えているかもしれません。「損な性格だな」と。

そんなことはありませんよ。あ、ダジャレじゃないですよ。

 

たとえば池に小石を投げます。波紋ができます。波紋は同心円状に広がり、池の端に届きます。するとどうなりますか? 消えますか?

違いますよね。波紋は端に跳ね返り、戻ってきます。間違いなく、戻ってきます。

これが海ならどうでしょう?

広い海です。しかし端はあります。大きな波に紛れて、小さな波紋は見えにくくなります。しかし消えません。波というエネルギーは、他の波にぶつかり、呑まれ、もみくちゃにされながら、それでも確かに存在しています。エネルギーは保存される。それがルールなのですから。そうして海の端に届いた波紋は、また元の場所に戻ります。時間はかかりますが、確実に。

それでは宇宙ならどうでしょう?

あなたは思考というエネルギーを発します。思考が外部に発信されることは、思考の映像化実験などをご紹介した以前のお話からも明らかです。

 

さて、あなたが発した思考は、宇宙に放たれ、やがてあなたに戻ってきます。宇宙に端はない? でもビッグバンで発生した光は引き伸ばされて、全方向から降り注いでいたじゃないですか。

 


あなたの思考は、あなたに戻ってきます。

「誰かの悪口を言うと、脳は自分が悪口を言われているのと同様のダメージを受ける」という話がありますね。

あるいは以前に実践した「魔法の言葉連呼」の実験。「ありがとう」とひたすら言い続けることが良い方向に作用することは、体感的に明らかです。

つまり発する言葉、あるいは思考には主客の区別がないのです。

 

だからあなたが誰かに優しくすること、ありがとうと伝えること、愛していると伝えることは、すなわちあなた自身を認め、許し、愛することにほかなりません。

引き寄せにおいても、間違いなく良い作用があるはず。

だからあなたはそのままで良いのです。優しい人。損得なんて考えずに、誰かのために生きられる人。それがあなたの人生を素晴らしいものにするのです。

 

というキャラで行こうと思いましたが、なんだか似合わない感じがするので今日だけです。

 

 

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引き寄せの近道は主観的感覚

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まだだ、まだ終わらんよ。

というわけで引き続きクオリアのお話です。書いてる方からして「ぽい感じ」なんて言っているのですから、読んでいる皆様におかれましても、なかなかすっきりと理解するというのも難しいところでしょう。

だから本日は、例え話から。こんな話はどうでしょう。

言葉以上に力のある心

あるところに、まったく英語を知らないA君とB君がいます。二人は一度も英語に触れたことがなく、「I LOVE YOU」という言葉さえ知りません。

 

そこで、まずA君には立派な家庭教師をつけましょう。A君は家庭教師の元、発音だけを学びます。「LOVE」の「ラ」は「L」だから舌を巻かず、「ブ」は下唇を噛む「ヴ」の発音。やがてA君は、ネイティブにもまったく遜色ない、完璧な発音の「I LOVE YOU」を身に着けました。しかしその意味は知りません。

 

一方、置き去りのB君ですが、ある日アメリカ人の女の子に一目惚れしてしまいました。言葉はわからないけれど、どうしてもこの思いを伝えたい。B君は慣れない辞書を片手に、なんとか言葉を探します。そうしてようやく拾い集めた「I LOVE YOU」。ひょっとすると現地の人には、「オレ アナタ ズキデズ」なんて聞こえてしまうかもしれません。

 

さて、完璧な発音を身に着けたA君と、溢れ出る愛を拙い言葉に託すB君。実際、同じ女の子に伝えてみたら、心を動かされるのはどちらの言葉でしょう?

 

「それは、顔がタイプの方さ! HAHAHA!」という小粋なアメリカン・ジョークではございません。考えるまでもなく、強い説得力を持つのは、B君の言葉に違いありません。言葉は心を託すための道具に過ぎないのですから。

ほら、また出てきましたね。じゃあ心ってなんだろう。

白黒の部屋のメアリー博士と同じです。どんなに理論を積み重ねようとも、それだけでは説明のつかない、ぼんやりとした、けれども確かな存在がある。その正体を仮定した存在が、クオリアというわけです。

 

ちょっと話が逸れてしまいますが、僕の大好きな詩をひとつ。僕が上記の例え話を思いついたきっかけでもある、谷川俊太郎「ことば」という一遍。受け止め方は、皆様次第。

 

問われて答えたのではなかった
そのことばは涙のように
私からこぼれた

辞書から択んだのではなかった
そのことばは笑いのように
私からはじけた

知らせるためではなかった
呼ぶためではなかった
歌うためでもなかった

ほんとうにこの私だったろうか
それをあなたに云ったのは
あの秋の道で
思いがけなく ただ一度
もうとりかえすすべもなく

クオリアと引き寄せ

さて、偉大な詩で切なくも温かい気分に浸ったところで、続きです。ちなみに谷川先生には以前に一度お会いしたことがあるのですが、本当に彼の詩そのままの、あたたかく、自由で、子どものように純粋な方でした。

で、続きです。

仮定の域を出ませんが、ここではクオリアを実在の因子として考えてみましょう。

ある事象を脳内で処理するとき、論理とは別に主観として生まれる感覚。

冷たいものに触れたときに、皮膚が反応し毛穴が収縮し体温維持のために血流が活発化し自衛のために痛みの信号を流す。そんな生体反応とは別にある、「冷てぇ!」という主観的な感覚。

つまり論理=自我(後付けの価値観や知識)に対する、感覚=自己(不変の自分自身)ということになるのではないでしょうか。

そして何度もお伝えしてきている通り、この自己の変質こそが、引き寄せの唯一にして最大のポイント、いわば奥義ということ。

引き寄せの実践において繰り返される「叶ったような感覚になる」という言葉。しかし叶ったことがないのだから、叶った感覚はわからない。だから僕たちは、お金とか車とかセックスとか、即物的な現象を思い描いてしまうのです。それが自我の思う壺だとも知らずに。

主観的感覚であるクオリアは、実在する物質である。ならばそのクオリアが生まれれば、現実に変化が表れる。それは自明の理。

ならば僕たちが願いを引き寄せるため、思考を現実化するために必要なことは、このクオリア、つまり主観的感覚を得ることだということになります。

欲しい車があれば、レンタルや試乗で乗ってみる。好きな人がいるなら、少しでも話しをしてその幸福な気分を味わう。そしてお金が欲しいなら、お金を使ってその感覚を得る。主観的感覚を得るためには、まず体験をする。

 

思考は現実化する。僕はこれを疑っていません。

しかしその現実化の速度を増すために、この主観的感覚が必要となってくるのです。急がば回れ、というわけです。

 

 

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思考はただの電気信号なのか

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前回までは、思考の正体はなんなのかというお話でした。

  1. 思考とは脳内を流れる電気信号である
  2. 電気信号は光である
  3. 光はエネルギーである
  4. エネルギーは物質に変換される
  5. つまり思考は現実化する。

という若干、暴論と言えなくもない論理展開でした。そしてそもそもの前提条件である「1.思考とは脳内を流れる電気信号である」という点に、拭い難い疑問が残るのです。今日はそんなお話。

 

思考はただの伝達情報なのか

思考とは脳内の電気信号である。それは確かにそうでしょう。しかし果たしてそれで思考のすべてを説明できるのでしょうか。それは言い換えれば、電気信号のみで思考を再現できるということになります。

ざっくりと思考の流れはこのような感じ。

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では脳がコンピュータに、記憶がデータベースに置き換わった時、それは思考といえるのでしょうか。私たちは何か、重大な要素を見落としているのではないでしょうか。

たとえば、思考が言語に変換される。言語は発声され、空気の振動という物理的な現象になります。歩く、座る、立つ、打つ、道具を使う。思考が筋肉を動かし、動く筋肉は運動となります。思考から物理現象への変換。考えてみれば不思議です。

あるいは、先日もお伝えした脳内物質の分泌。快/不快という思考は、ダイレクトに体に変化を及ぼします。電気信号が物理次元に反映される。その中間に、何がしかの見えざる力が働いているのではないでしょうか。

メアリーの部屋

「メアリーの部屋」という思考実験があります。1982年にオーストラリアの哲学者フランク・ジャクソンにより提唱されたこの実験。ざっくりというと以下の通り。

この世のすべてを理解するスーパー科学者・メアリーさん。彼女はあらゆる現象の原理・理屈を知っている。

たとえば「赤い」という状態について、その光の波長やその色を目にした時の人間の脳内の感覚を余さず説明することができる。

しかし彼女は生まれてからずっと白黒の部屋の中に住んでいるため、実際に「赤い色」を見たことはない。

では、生まれてはじめて部屋から出て赤い物を目にした時、彼女には何か新しい発見があるか。

多くの人はおそらく「ある」と考えることでしょう。科学者・哲学者の間でも、新たな発見は「ある」という論が優勢のようです。

ではその新たなものとは何か。体験でしか得られない、知識とは異なる何か。これを仮定したものが「クオリア」です。

クオリアの存在

我らがウィキペディア兄さんによるとクオリアとは

心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう

 とあります。なるほど、わからん。

内観とは、つまり主観のこと。硬い鉄を触った時の手触り、音、質感、雰囲気と、柔らかいゴムを触った時のそれの違いと言えば良いでしょうか。「ぽい感じ」と言えば良いでしょうか。

つまり脳内に電気信号として流れる情報だけではない、もっと主観的な、個人的な感覚というものが、思考を構成しているのではないか、ということです。

クオリアの存在は強く認識されているものの、その定義や科学的検証はなされていません。しかしこのクオリアこそが、人間を人間たらしめている要素、コンピュータに再現できない重要な部分であるのです。

さて、そんなクオリアの存在は、引き寄せにどう関わってくるのでしょう。

次回はそんなお話です。

 

 

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