引き寄せのプロセス

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はじめに

ジェロラモ・カルダーノという人物をご存知でしょうか?

16世紀イタリアの数学者で、三次方程式の根の公式、四次方程式の解法を示した功績で知られています。また同時に占星術師(現在の天文学者+占い師)でもありました。

そして数学上の功績以上に知られるカルダーノの生涯。彼は占星術により自らの死期を予言していました。そして、その予言の日に、自ら命を絶ったのです。

結果的に、彼の予言は当たったのです。

さて、この話を聞いて、どう思いますか?

どこか切実で、真摯で、そしてあまりにバカバカしい結末。

しかし少なくとも、運命は自分で決めるものということを証明してくれている気がしませんか。なにも死ぬことはないと思いますけどね。

引き寄せのプロセス

というわけで、なんとか50記事目となりました。急がば回り過ぎた引き寄せの法則。ここまで積み重ねてきた屁理屈を元に、そろそろ実行に移っていこうかと思います。

そして例によって、方法について考える前に、改めて引き寄せのプロセスを確認しておきましょう。

なお、僕は引き寄せに関しては、意識的な行動は必要ないと考えています。引き寄せる流れのなかで、したいことはすれば良いし、潜在意識と調和が取れていればあなたの意識が働くまでもなく、行動は起こるはずです。

つまり重い腰を上げて、いやいやながらに、面倒だけど、やらなくてはならないような行動引き寄せとは無関係ということです。

はい、それでは引き寄せのプロセス確認です。

 

①深層意識で望む

②実現する

 

以上です。

本当に手抜きじゃないです。これ以外に何もない。

たとえば下記の記事で言及したように、思考が思考を呼び寄せる流れや、物質化する原理などはあります。

attracted.hatenablog.jp

 

しかし、これらは確信のための道具でしかありません。本当に深層意識に届くならば、余計な知識などなくていい。

引き寄せに必要なこと

なくてもいい、などと言ってしまいましたが、それでも長々とご説明してきたのは、引き寄せを遅らせる邪魔者の存在のため。

それが後付けの価値観(固定観念、社会常識、エゴ)でした。

それらの妨害を切り抜け、思考が無事に潜在意識まで届いたらあなたの勝ち。「そんなのあるわけないよ」という観念に押し切られ、元の日常に戻ってしまったらあなたの負け、エゴの勝ち。とてもシンプルなルールです。シンプルでフェアです。

フェアな勝負ではありますが、あなたを勝利に近づける心強い助っ人がいます。その助っ人が「確信」です。「確信」はあなたの思考を潜在意識まで、ひとっ飛びで連れて行ってくれます。

しかし「確信」はレアキャラなので、なかなか出てきてくれません。当ブログの存在意義も「確信」の出現のお手伝いではあるのですが、それだけで足りません。

なぜなら「確信」の出現条件はあなたの体験だけだから。

というわけで、まとめます。

 

①潜在意識で望む

ただし後付けの価値観という邪魔者がいる。そいつを避けるためにはレアキャラ「確信」の召喚が大切。

①’「確信」召喚のためには体験が必要

①’’体験により「確信」が生まれ、潜在意識に望みが届く

②実現する

 

さっきよりちょっと手順が増えてしまいました。そして当然湧くべき疑問もあります。それは、

体験によってしか確信が生まれず、その手順なしに現実化がないなら、はたして最初の体験はどうやって創造すればよいのか?

という疑問。

そのへんを含めて、明日から具体的な手順について考えていきます。

また屁理屈で終わってしまいました。すみません。

 

 

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1分で自己の存在を確認する方法

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はじめに

ここ2回は、非常に退屈な哲学的な話になってしまいましたが、今回は大丈夫です。たぶん。そんなわけで今回は、すぐに効果が実感できる方法について考えてみます。

後付けの価値観を手放す実践的アプローチ

変化を望む時、つまり引き寄せの劇的な効果を望むときに、「常識的に考えて」という後付けの価値観が邪魔になる。だから、自己を拡大してあらゆる可能性に焦点を当ててみよう、というのが前回までの哲学的アプローチでした。

今回は即物的、実践的アプローチです。さっそく考えていきましょう。

方法は、またもや瞑想です。いや、瞑想というとちょっとめんどそうなので、「自分発見1分チャレンジ」とでもしておきましょうか。

まず、楽な姿勢になってください。普通に楽なら大丈夫です。ソファでも、デスクチェアでも、床でも。このままもう少し読み進めてくださいね。

さあ、楽な姿勢になったら、目を閉じて、思考をストップしてみてください。何も考えない! 無です、無。難しければ、ゆっくり7秒かけて息を吸って、7秒かけて息を吐くようにして、その呼吸に集中してみてください。

とりあえず1分。吸って、吐いての呼吸を4回分くらいです。

はい、スタート!

 

 

 

はい、お疲れ様です。

呼吸に集中できましたか? そうは言っても、やっぱり余計な思考が湧いてきちゃうものですよね。「あの書類、明日までに仕上げないと」「夕飯は何にしよう?」「昨日怒られたけど、何もあんな言い方しなくても」「今月のカードの引き落としいくらだっけ?」「瞑想なんて本当に効果があるのかな?」

思考はオートマチックに、じわーっと浮かんできてしまいます。あなたが止めようとしてるにも関わらず。大丈夫、それはとても当たり前のことですから。

 

じゃ、今度は浮かんできた思考を、観察してみましょう。思考に対して「そうそう、そうなんだよ!」と深追いするのではありません。ただ浮かんできた思考に対して、「あ、また思考が浮かんでるな」と、ただ観察するのです。

では、もう1分。思考を観察しながらね。

はいスタート。

 

 

 

はい、お疲れ様です。

思考を観察しましたか? 止めようと思っても勝手に浮かんでくるんですよね。困ったものですよね。ところで、

 

いま浮かんだ思考を観察していたのは、誰ですか?

 

自動的に浮かんでくる思考を、客観的に観察している存在。それは、あなたです。

つまり浮かんできた思考はあなたではありません。観察していたのが、あなたです。

思考と自分は同一ではない

これが後付けの価値観、つまりエゴの巧妙なところです。あなたの思考はあなた自身とは別物なのに、思考=自分自身と思い込ませてしまう。

たとえば恋人と別れたとしましょう。

あなたは悲しい。食事も喉を通らないほど落ち込む。それはなぜか?

それは恋人と過ごした時間を、一緒に行った旅行、楽しい会話、ご飯を食べたこと、愛してくれたことを、あなた自身と同一視しているからです。間違えないでください。それはあなたの思考であり、あなた自身ではありません。だって、さっき勝手に湧いてくる思考を、あなたは客観的に観察したじゃないですか。

あるいは子供の頃、大好きだったおもちゃが壊れたとき。もしかすると泣き喚いたかもしれません。おもちゃ自体の存在価値に関わらず、大きな喪失感を持ったことでしょう。これも同様。あなたはおもちゃを(または所有することを)自分自身と同一視していたのです。

これが自我の拡大です。とくに子供の場合は、自分自身と対象の境界が曖昧で、所有物と自分を同一視します。人形遊びは、その典型です。

もちろん大人になっても自我の拡大は起こります。良い車に乗りたい、良い時計をしたい、というのも、高級品を持つことで自分の価値が上がると信じるから。つまり物と自分と同一視しているのです。

先日の三角コーンの例のように、自我の拡大は物事の見方を固定してしまいます。自分が思考に乗っ取られてしまえば、思考によって、つまり既成概念によってしか物事が判断できなくなってしまうのです。

これを防ぐために、さきほどの「思考を観察する」という練習を繰り返す必要があります。思考を観察する自分、つまり本当の自分を認識すればするだけ、あなたの本質は確立され、より強固な存在となるのです。

というわけで本日は、思考と自己の分離について。またもや若干、哲学チックな話になってしまいました。

僕もいい加減飽きてきたので、次回からは具体的な引き寄せ方について考えてみようともいます(予定)。

 

 

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宇宙は自分自身であるという哲学

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はじめに

前回は対象を多角的に捉えるためには、自己の拡大が必要という話でした。ここで間違えてはならないのは、自我の拡大ではなく、自己の拡大という点。自我を抑制するために自己を拡大するのです。哲学です。

自分の観測位置を変えるだけでは、物事の異なる側面を見ることはできるけれども、その一側面がすべてになってしまう。昨日の三角コーンの例でいうなら、横から見ていて三角だったものが、自分が上から見下ろして見たら丸になる。しかし今度は「丸いもの」という単一の判断になってしまうよ、ということです。

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複数の側面を同時に見るには、自己を拡大するしかないということでした。

でも、本当にそうなのでしょうか? 例えば自分を可能な限り拡大したとして、裏側を同時に見ることはできないような気もします。

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上図のようなイメージです。いくら拡大しようとも、死角というものは存在しそうな気もします。

自己の拡大の実践

ここでひとつ考えてみましょう。

いま、みなさんが居る地球上の位置から、ちょっと上昇してみましょう。もっと上です。大気圏を飛び出して、宇宙空間へ。月の近くまで行ってみましょうか。暗い宇宙のなかにポツンと浮かぶ美しい地球、きっと以前に写真で目にしたことがあることでしょう。

今度はもう少し離れてみましょう。太陽系には太陽を中心に、8個の惑星が公転しています。赤く燃える太陽と、その周りに浮かぶ惑星。これもモデルなどで見たことがあるでしょうか。

今度はさらに遠くまで飛び出して、私たちの居る天の川銀河を想像してみましょう。ぼんやりした渦のような形の銀河が浮かびますね。太陽系の直径は約3光年、天の川銀河の直径は約33万光年。銀河のなかで太陽系は、小さな粒のような存在です。

まあこのへんで良いでしょうか。

さて、あなたは今、途方もない大きさの宇宙を心に描きました。つまり、あなたの心(≒思考)は宇宙が入りきるだけのサイズがあるわけです。

「ただ想像しただけだ」なんて思いますか?

でもさっきから出てる三角コーンだって、想像しただけじゃないですか?

あなたの意識が拡大して、そのなかに三角コーンがある。だから裏側だって見ることができるのです。

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宇宙と自己の同一視

あなたは宇宙に行ったことがないのに、宇宙を思い描いた。

つまりあなたの宇宙は、あなたの心、意思、思考、記憶が存在させている。

そこに存在する物質もまた、あなたが存在させている。

なぜなら物質は宇宙の一部だから。

そして、あなた自身もまた、物質である。

つまりあなたは宇宙そのものである。

 

もちろん「あらやだ、私、宇宙だったの?」とワイドショーの不倫報道のようにあっさり理解できる話ではないでしょう。

しかし、この思考こそ、論理的思考を重ね、深い知見を得た科学者たちが最後に行き着く、哲学的思考なのです。多くの宗教が説く教義も、掘り下げるとこの思考に行き着きます。

繰り返します。

あなたの宇宙は、あなたが存在させている。

そのあなたもまた、宇宙の一部である。

つまりあなたが常識であると考えている後付けの価値観も、

あなた自身が存在させている。

ならば存在させないと決めれば、その存在理由はなくなる。

すべての決定権は、あなただけが持っている。

 

 

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[退屈注意]哲学的に考える多角的な思考

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はじめに

まずお詫びしておきます。本日のお話は自己の本質と拡大の前提となる、やや哲学的な内容となります。ぶっちゃけて言うとつまらないです。しかし、後付けの価値観の手放し方の前提となる話でもあります。流し読みでも構いませんので、さらっと見ていただけると幸いです。

レッテルによる分類

さて人間が生存確率を上げる為に前例のデータを集め、分類する。それが後付けの価値観のひとつでした。もちろん、直接的に人の生き死にに関わることだけではありません。あらゆる事象を分類し、過去のデータに当てはめて理解しようとする。それが人間という社会性のある生き物の特徴です。

たとえば小学校の担任の先生を思い出してみてください。小学生というクラスの中にたった一人だけ存在する大人。その判断、言葉は絶対的であり、自分の人生に多大な影響を及ぼし得る存在だったかもしれません。

しかし、自分が当時の先生と同じ年齢になってみると、大人という存在が決して絶対的でないことに気づくことでしょう。先生だって悩み、葛藤し、煩悩を持っています。なんなら恋人の前では赤ちゃん言葉かもしれません。

しかし私たちは「先生」という分類をすることで、その別の側面を見ないようにしていたのです。会社の上司や同僚、家族、あるいは男女という性差さえ同様です。

あるいはこんな例はどうでしょう?

ウスターソースを醤油差しに入れて、ついでに「醤油」と書いたラベルを貼っておきましょう。さあ、今夜はトンカツです。しかし冷蔵庫にソースが見当たらない。あなたは面倒だけど、コンビニまでソースを買いに出かけます。目の前のテーブルの上に、(醤油差しに入った)ソースが置いてあるにも関わらず。

醤油差しには醤油が入っているという価値観が、あなたに不要な労働を強いるのです。

では、どうすれば良いか? 毎回目の前のすべてを疑えというわけではありません。醤油でトンカツを食べろというわけでもありません。

観測位置による認識の変化

また違う例で恐縮ですが、工事現場の三角コーンを思い浮かべてください。

三角コーンというくらいだから、三角ですね。正式にはロードコーンというようです。初めて知りました。とにかく三角なわけです。

しかし、真上から見たらどうでしょう。上部は円錐形、底部は四角ですから、丸と四角の組み合わせです。逆に裏から見れば四角(あるいは穴状になった上部の丸)になると思われます。

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つまり、観測する自分の位置が変われば、対象の認識が変わるのです。

先ほどの先生の例も同じですね。自分が生徒、子供から大人に変わる。すると、先生の見え方も変わるのです。

多角的観測のための自己の拡大

では本題である後付けの価値観に当てはめて考えて見ましょう。

「大人は会社に行くものだ」「労働の対価として賃金を得るべきだ」「男はこうあるべきだ」「女性はこうあるべきだ」……

変化を望む時にその妨げとなるそのような価値観。それを外す為には、まず自分の観測位置を見直すことが効果的です。

その位置とはどこか。今、社会という枠組みの中で見ているから、ならば社会に捉われなければ良いのか。そうではありません。社会の枠に囚われないという発想自体も、すでに後付けの価値観によって作られているのですから。

ならばどこに移動すれば良いのか? 実は移動する必要なんてありません。今の場所のままで良いのです。

三角コーンの話。横から見ると三角だったけれど、高い場所に移動すれば丸に見える。しかしこれは三角が丸に変わっただけで、一元的見え方というのは変わっていません。移動した先の見え方が今度は新たな価値観となってあなたを縛り付けるだけです。

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だから、あなたは今の場所のまま拡大すれば良いのです。

拡大した状態のあなたは、複数の可能性を同時に見ることができます。従来、常識的に否定されている可能性も含めてです。

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この自己の拡大こそ、物事を多角的に捉える数少ない方法なのです。はい、哲学ですね。難しいし、つまらないです。でも、知ることが必要な部分でもあります。

それでは「自己の拡大」のためには、何をすれば良いのか?

本を読み、多くの知識を取り入れる?

それはまったく正反対です!

知識を吸収して拡大するのは、あなた自身ではなく、あなたの後付けの価値観です。その価値観を手放すために自己を拡大するのですから、それでは本末転倒です。

もちろん知識を得ることは必要です。しかし、知識はあなたの後付けの価値観のエサでもあります。あなたは得た知識を正当に利用し、自ら体験することでその価値観を手放していかなくてはならないのです。

非常にややこしい! でも大丈夫、方法はちゃんとあります。今日はつまらない哲学的な話に終始してしまいましたが、次回は、この自己の拡大の方法を探っていきます。

もうしばらくおつきあいください。

 

 

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[実践報告]魔法の言葉連呼の効果

実践内容と測定方法

現在、2017年3月1日(水)21時24分です。

月初めということで、なんとなく実践報告でも認めてみようかと、この記事を書き始めました。

[実践内容]

魔法の言葉連呼

主に望まないことに対して「ありがとう」、望むものに「感謝します」、そして気が向いたら「ツイてる」をひたすら言う(声に出す)。

※やり方は東大六郎氏のサイト「勉強すれば人生変わる」を参考にさせて頂きました。

 

[測定]

気が向いたときに、この記事に変化を書き足していく。

記事公開は2017年3月31日21時に設定。

 

日々の変化

では、日々の変化について書いていきます。

3月2日

実感できる効果なし。強いて言えば後付けの価値観の説明記事を書いた後で、色の恒常性の話題を見つけたくらい。

3月3日

初恋の人が夢に出てきて一緒にベルギービールを飲みに行った。外務省に努めていて三茶に住んでいる(夢の話ね)らしい。

ついでだから印象的な夢も記録しておこうかな。

3月4日

[夢]鎌倉?あたりの雑貨屋の店番をしていた。近くに「家康」という名のラーメン屋があった。現実だと千葉にあるみたいだけど、顕在意識的には聞いたこともない。

[現実]関西に引っ越して疎遠になっていた大学時代の友人からFBの友達申請があった。

 3月6日

[現実]偶然目にしたローカルニュースに卒業以来会っていない中学校の同級生の名前を発見! しかもかなり良いニュース。がんばっているんだな、と思った。

3月10日

[夢]高い場所から巨大な風船に飛び降りる遊び。古民家を改築した店で店番。前もあったな店番の夢。謎の番号「717」が何度もループ

[現実]とくになし

3月11日

[夢]友達が「宝くじで7万円当たった」って言ってた

[現実]とくになし。ただの夢日記になってるな

3月12日

[夢]知らない人の車の後部座席に乗る。猛スピードでかっ飛ばす

[現実]とくになし

3月13日

[夢]二度寝したためか、内容はっきり覚えてるし、かなり不思議。知らないおっさんの社長(?)が、何かと面倒を見てくれる。ボロ車を3000万円で買い取ってくれたり、ご飯食べさせてくれたり。家に招待される。常磐線国道6号線の間(?)にある豪邸。玄関にピアノがある。宴会場もある。他の人が社長を「土屋さがみ(?)さん」と呼んでいた。知らない人。

 

現実?]起きてから気になって「土屋さがみ」を検索。江戸時代の老中で「土屋相模守」という人がいるみたい。しかも土浦藩主という常磐線国道6号線がどちらも走っている場所! もちろん、聞いた覚えはない。なんだろう? 守護霊?

3月14日

寝起きにバタバタして夢をメモってないので覚えていない。仕事でなかなか気の合う人に出会った。

夕方、昔のジム仲間から連絡。転職して、かなり大きな仕事を僕に依頼したいと! 引き寄せエンジンかかってきたのか?

3月15日

[夢]深夜の床屋を内緒で使う

[現実]50円拾った

3月16日

[夢]忘れた

[現実]かなり大きな仕事の依頼。自由業になってから最大規模の案件かも。

3月17日

[現実]古い友だちから呼び出しで飲みに行く。盛り上がりまくりで深夜まで。

3月18日

二日酔いで終日ダウン(笑)

3月19日

深く眠りすぎたのか、夢の記憶なし。記録が雑になってきてる気がする。何もない日は書かなくていいかな。

3月20日

仕事先でコロッケを山ほどもらった。しかし風邪で体調不良。好転反応というやつだろうか。寝込みながら細切れだけどポジティブな夢をたくさんみた。

3月21日

引き続き具合がすぐれない。新規の仕事依頼あり。ノートPCの調子が悪いので、前から欲しかったmacbook airを購入。普通に購入。自分への投資だ。

3月23日

macbook air到着! かっこいいわー。幼馴染から久しぶりに電話。大した用事じゃないけど。

3月25日

旅館みたいな大きな古民家に住む夢。前にも見たことがある気がする。

3月27日

高級玉露を頂いた学生時代の友人から連絡あり。

3月29日

目黒でお寿司を食べた。おいしかったです。

3月30日

追加で仕事依頼あり。かなり良いペース。

3月31日

 

結論と感想

青字が得たり、もらったり、買ったりしたもの/こと。赤字が予想外の連絡/音信。検証前のデータがあるわけではありませんが、仕事に関してはかなり良いペース。連絡もやや多かった気がします。

一方で、毎週5口ずつ買っているtotoBIGは当選なし。その他の臨時収入など即物的な効果は見えませんでした。期間が短い気もするので、引き続き検証していきたいと思います。

というわけで、魔法の言葉連呼の一ヶ月チャレンジ。ひとまずの結論としては

「劇的な効果は見えないが、少なくともベクトルが良い方向に向かうくらいの効果はある」

とご報告させて頂きます。わりとおすすめです。

[備考]

実際の発言回数は以下の通り。はっきりと発音した回数のみカウント。ブツブツ呟くような発生はカウントしておりません。

あと念のためネガティブな言葉を発した回数も記録。自分がわりとネガティブだと気づきました。

計測、集計はiphoneの「Count Log」というアプリにて。

 

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エゴと引き寄せの関係

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はじめに

前回は「後付けの価値観(≒エゴ)」とは何か、そして何故そんなものが存在するのかについてお話しました。

簡単にいうと「“生存する”という生物の究極の目的のために人生をかけて収集した前例のデータ」ということになるでしょうか。

これ自体は悪いものではなく、トラブルを減らして生きるために必要なデータであるというのも前述の通り。しかし変化を望むときに限っては、この後付けの価値観は邪魔になり得ます。当然、引き寄せの実践によって何かを求めるときにも、この後付けの価値観が最大の障壁となります。

それはなぜでしょうか?

思考の流れる方向

川の流れを思い浮かべてください。

上流から流れる水は、好き勝手な方向に行ったりはしません。川の溝に沿って、つまり前例の通りに進みます。しかし時折、増量した水により決壊することもあります。すると私たちは、二度と決壊しないように堤防を築きます。もし再び決壊したら、さらに高い堤防を築きます。

思考の流れも同じです。とくに意識しなければ前例の通り、誰かが示した道に沿って思考は進みます。時折、感情の奔流が溢れて、意識が新たな場所に向かうこともあります。しかしそれも一時的なこと。私たちは決壊した堤防をペタペタと埋めて、そこにさらに高い「常識」という堤防を築いて、なにもなかったかのように、昨日と同じ思考を繰り返すのです。

その狙いはシンプル。昨日は生きて終わったから、今日も昨日と同じことをすれば生き延びる確率は上がる。つまり人間は本能的に、挑戦よりも安定を求めるのです。

なぜ後付けの価値観が引き寄せを妨害するのか

これも極めてシンプルなロジックです。後付けの価値観により固定された川の堤防、これは確定した位置ですね。そこに変化を加えるためにはエネルギーが必要です。エネルギーとは力(≒加速度)ですから、F=maで位置エネルギーを二階微分する必要があります。これは止まったままなら必要ないエネルギーです。つまり、面倒なんですね。

本当は可能性は無限にあります。買った覚えのない宝くじが当たる可能性だって、5秒後にアメリカ大統領から電話がかかってくる可能性だって、あなたが来年のアカデミー主演女優賞にノミネートされている可能性だって、すべて可能性として存在しているのです。

しかしそれらの可能性をすべて認めてしまうと、後付けの価値観の存在価値、つまり安定こそが最高だ! という主張が揺らいでしまうのです。

だから後付けの価値観は、本当は存在する可能性に対して「そんなのあり得ない」という答えを突きつけます。いろいろなデータや前例を引き合いに出しならが、いかに無理であるかを、必死であなたに伝えます。

さて、引き寄せの本質は「確信」でした。心から信じること。その邪魔をするのは「そんなの無理だよ」という後付けの価値観です。

参考

attracted.hatenablog.jp

しかし忘れてはいけません。

あなたが望んでいるのに、それを邪魔する後付けの価値観。しかしその理由は、あなたの生存を強く願っているから。あなた自身のためを思ってのことなのです。

 

でもイラネ。

というわけで、次回からは後付けの価値観の外し方について考えてみます。

 

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エゴって何?

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はじめに

先日、某有名精密機器メーカーの取締役の方とお会いした際、印象的な話を伺いました。それは

「社員の9割が、前例の有無を第一の判断基準にしている」

という言葉。それはつまり大きな変化を怖れ、未知への挑戦に二の足を踏むということ。もちろんその方は、この状況を嘆いておられました。

この印象的な話を足がかりに、かねてよりのお約束だった後付けの価値観について掘り下げて行きたいと思います。

後付けの価値観とは何か

当ブログでは頑なに「後付けの価値観」という呼び方をしておりますが、これは常識、社会通念、既成概念といった言葉と同義です。そして、これをさらに俯瞰的にみると「エゴ」という呼び方になります。

しかし、あえて「後付けの価値観」という呼び方に固執するには理由があります。というのも、現在の日本語として「エゴ」という言葉それ自体にネガティブなイメージがあります。

アムロ・レイがシャアに告げた「エゴだよそれは!」というセリフに代表されるように、本来「自我」を指す言葉である「エゴ」が、利己的・自己中心的である「エゴイズム」と混同されているのです。

だから第一に確認しておきたいことは「エゴ」自体は悪いものではないということ。しかし語感から湧くイメージは変えることができませんから、引き続き当ブログでは「後付けの価値観」と表現していきます。ちょっと長いですけどね。腑に落ちない方は、頭のなかで変換して読んで頂ければと思います。

後付けの価値観が形成される理由

たとえば登山においては、既存の登山ルートを辿るのが一般的です。すでに誰かが通り、登頂を果たした道。それは、ある程度の安全と、確実なゴールへの道が保証されていることを意味します。

一方で新ルートの開拓には多大な労力と危険が伴います。障害の存在がわからず、さらに頂上に続いているという保証さえもない茨の道です。

人間が本能としてどちらを選ぶかは明確ですね。人生においても同じです。

つまり、後付けの価値観は、すべてあなたの生物としての安全を願っているのです。「大きな会社に入れば安泰だよ」「上司の言うことを聞くと出世するよ」「遅刻しないで会社に行かないと」「良い会社に入るために勉強しないと」「一生懸命働いてお金を稼がないと」「適齢期に結婚して子孫を残さないと」……これまであなたが生きてきた人生は、すべてこの価値観を取得するために存在していました。安全に生存し、種を残すこと。この生物としての究極の目標のためには、前例に頼るのが何よりも近道だからです。

後付けの価値観の存在意義

当然、それは悪いことではありません。しかし、例外的にこの価値観が邪魔になるときがあります。それが変化を願うときです。

毎朝7時にかけている目覚ましを、6時30分に変える。そこにどれだけの労力が必要でしょうか? 時計のツマミを動かすことだけではありません。朝の過ごし方が変わります。睡眠時間確保のために前日に寝る時間も変える必要がありそうです。そのためには仕事を早く終わらせて、無駄を省き、支度をスムーズにして。

30分を変える行為のために、日常のさまざまなところに余波が届きます。面倒ですね。7時でも十分仕事や学校に間に合うなら、やっぱり7時のままにしておきましょうか。

これが前例にたよった意思決定です。

たった30分のことでこれです。たとえば「収入を倍にする」という変化ならどうでしょうか。仕事を変える? 副業をする? ギャンブルにかける? 

今の安定を犠牲にしてさらなる飛躍を目指すより、少なくとも生存している現在の状況を保存する方が、危険が少ないようです。

こうして私たちは、昨日の自分をトレースしながら、今日も安全な道を進むのです。願望成就の邪魔をしているのが、変化を怖れる自分自身だと気づかないまま。

 

というわけでまずは「後付けの価値観」の定義からスタート。次回からは、引き寄せと「後付けの価値観」の関係について考えていきます。

 

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