[外堀から埋める06]科学者たちの宗教観

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物理学者の宗教観

2016年に国連が発表したレポートによると、近現代の著名な科学者のうち、実に8~9割もが「神の存在を信じている」と答えたそうです。

もちろん、ここでいう「神」とは万能の唯一神や、白い髭を生やしたおじいちゃんではないでしょう。創世の神話なども同様です。しかし、科学を突き詰めれば突き詰めるほど、そこに人類の英知では理解の及ばぬ超自然の存在が感じられるのではないでしょうか。そしてその、超自然たる存在に、科学者たちは「神」を見たのでしょう。

事実、科学者が神や大いなる意志の存在を引き合いに出す例は枚挙に暇がありません。

「我々が持っている限られた手段で自然の奥深い神秘に潜入しようと試みれば、背後には微妙で無形な、表現し難い明らかな関連が存在していることに気づくのだ」(アルベルト・アインシュタイン

「すべての物質はある種の力の影響下にのみ創造と存在ができる。この力は一つの原子粒子を振動させ、最も微小な『原子太陽系』を支えている。この力の背後には意識を持つ、知恵の心が存在することを仮設しなければならない。この心こそが全ての物質の母体であるのだ」(マックス・プランク)

「(前略)我々は精神的生命体であり、霊魂(たましい)が精神世界に存在していると同時に、物質的生命体でもあり、身体と大脳が物質世界に存在していることを認識すべきだ」(ジョン・C・エクレス)

参考:6人の現代著名科学者 彼らは何故神を信じるのか

知るほどに限界と、その裏の大いなる存在が感じられるのが、科学というものなのかもしれません。

つまり、「僕は論理的だから宗教を否定します」と結論付けるのは、意外にも短絡的な考えかもしれない、ということです。

生物学者が見る神の存在

長く常識とされてきたダーウィンの進化論。学校でも習いますから、これを「紛れもない真理」と捉えている方も多いことでしょう。しかし近年、その矛盾や欠点が多く指摘されていることはご存知でしょうか?

とくに問題とされているのが進化論を真理とする証拠がない、という点。iPS細胞でおなじみの山中伸弥教授や素粒子研究の権威である益川敏英教授もこの点を論拠に、進化論に疑問を呈しています。

進化論の基本は、突然変異と自然淘汰です。

たとえばキリンの話。少し首が長めのキリンが生まれてきた。この個体は高いところの草が食べやすく、環境に適していた。その子どももまた首が長く、生存競争を優位に進められた。そうして時間をかけながら、キリンの首は徐々に伸びていった、という論。しかしキリンの祖先と言わる「シバテリウム」からキリンの誕生まで200万年程度しか経っていません。生物学的には、極めて短期間です。この期間で、果たしてそんなにも形が変わるものでしょうか?

では、突然変異で、あるとき首の長いキリンが誕生したのでしょうか?

しかし、長い首を支えるためには、強靭な四肢と血液を脳に送るポンプ機能が必要です。それが無く、ただ首が長いだけでは、サバンナで生き残るのは困難でしょう。

さらに奇妙なことがあります。

キリンの後頭部には、頭を上げ下げしても血圧が急激に変化しないよう「ワンダーネット(奇驚網)」という毛細血管が張り巡らされています。これがなければ、首が長いキリンは脳溢血を起こしてしまうのです。

しかし、この「ワンダーネット」が、キリンの仲間であるオカピにもあるのです。オカピの首は長くありません。つまりこれは、首が長くなる以前に、首が長くなっても大丈夫な機能を持っている、ということになります。誰かが意思を持ってデザインをしたのではないか、という疑問も、当然湧き上がります。

 キリンの例だけを見ると「結果から逆算しているから奇跡に思えるのだ」という反論も成り立つでしょう。首の長いキリンのいない世界では、このような議論自体が起こらないのだから、現時点から過去を考察するのは無意味であるという論です。

しかし、キリンだけではありません。私たち人間の脳が、わずか20万年で1.5倍に増えたこと、その間に脅威となる天敵もいなかったことはどうでしょう? あるいはサバンナに生きる個性的な動物たち、そして数億年も姿を変えないシーラカンスの存在。

考えるほどに、生物の進化は自然淘汰ではなく、何者かの意志が介在していると捉える方が自然に思えてきます。

山中伸弥教授は対談のなかで「これは神様にしかできない、と思うようなことがたくさんあります」と述べています。もちろんこの「神様」も、具象的な神の存在というよりも、人間の叡智の限界の比喩的意味合いが強いはずですが。

科学と宗教の間

長くなってしまいましたが、世の理を論理的に解き明かそうとする科学者たちが、科学的な意味での神、つまり人間には遠く及ばない大いなる意志の存在を感じ取っているのです。

もちろん、ここで「神様はいるんです! さあ、このツボを買ってください!」というつもりはありません。

ただ、宗教というものに忌避感を持ちがちな日本という国で、学校教育を通して詰め込まれた常識。それが思うほど揺るぎないものではない、ということだけ、ご理解頂ければと思います。

次回はようやく「引き寄せの法則」と科学について考えてみます。