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[外堀から埋める02]量子は複数の可能性である

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 量子論コペンハーゲン解釈

さて、前回までは「量子論」のやや観念的な、触りの部分のお話でした。今回はもう少し踏み込んで考えてみます。

非常に小さな「粒」である「量子」の世界では、従来の物理学が通用しませんでした。ではどういうところが違っていたのか。それは「量子」の存在そのものでした。

先程「粒」と表現した「量子」、しかし実験をしてみると、これが互いに干渉し合う「波」である結果を示しました。空気の振動や海の波のように、お互いにぶつかり合って、混じり合うようなデータが出たのです。ところが「なるほど、量子は波だったのか!」と今度は観測してみると、やっぱり「粒」でした。

実験結果は「波」としか思えない。しかし観測すると確かに「粒」である。

こんなわけのわからないことになってしまいました。

物理学の世界では、目に見える結果がすべてです。そこに疑いを挟む余地はありません。しかし、その結果がすでに矛盾を示している。多くの物理学者が、この不可解な現象に頭を悩ませます。

そこにひとつの仮説を立てたのが、量子論の祖であるニールス・ボーアの弟子たちでした。ボーア研究所のあるコペンハーゲンから生まれたことから「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるこの仮説、簡単に言うと

「量子は観測していないときは複数の可能性が重ね合わせた波の状態で存在する。観測することではじめて、ひとつの状態に収束する」

というものです。簡単ではないですね。

  • 観測していないときは互いに干渉する波である。
  • 波の状態のときは「ここにある可能性」「あそこにある可能性」「やっぱこっちかもしれない可能性」「本当はそこかもしれない可能性」という無数の「ここかも?」の可能性として、複数箇所に同時に存在している。
  • 観測した瞬間、その可能性のひとつが選択されて座標が確定する。

というのが、この解釈のポイントです。ここで理解に苦しむところは、「すでに場所が確定していて、それがここにある可能性が◯◯%・・・」ではないということ。

たとえば、あなたに見えないように卵をひとつ、冷蔵庫にしまいます。あなたは考えます。まあ、普通はドアの裏側の卵ケースのところだろう。まあ6割くらいの確率だな。いや、普通にド真ん中に置くかもしれない。2割くらいだろうか。いやいや、裏をかいて野菜室かも。それとも冷凍庫か。意表をついて製氷皿とか。それぞれ0.5割としようか。

といった具合に考えるとき、卵の位置はすでに確定していますよね。もう置いた後なのですから。

しかし量子の場合、ドアの裏にも、野菜室にも、製氷皿にも、それぞれ存在している状態と存在していない状態が重なっているのです。そうしないと互いに干渉しあって波型となる理由が説明できない。

そして冷蔵庫を開けてみると、そのどこかに「もともとここにありましたけど?」みたいな顔をしてデンと居座っているわけです。

こんな曖昧模糊な理論が、現在科学の最先端と呼ばれる量子力学の世界でまかり通っているのです。

シュレーディンガーの猫が示唆すること

そんな理論の複雑さに拍車をかけるように、エルヴィン=シュレーディンガーという物理学者が、ひとつの思考実験を提示します。思考実験というのは、実行するわけではなく、頭のなかで行う実験のこと。それはこんな実験です。

 「密閉された箱の中に『量子』と『量子を検出すると毒ガスが出る装置』、それから猫を一匹入れちゃいます。じゃあ観測してないとき、猫ちゃんの運命やいかに!?」

非観測下における「量子」は複数の場所に存在と非存在の可能性が重ね合わせてあるものでした。

ではその量子が「あっちにあるかも50%」「毒ガスの検出器のとこにあるかも50%」の可能性で同時に存在しているとき、猫ちゃんの運命はどうなっているのか。

それはつまり毒ガスが出ている状態と出ていない状態の両方が、重なり合って同時に存在しているのです。よって「猫ちゃんが生きている可能性と死んでいる可能性が重なり合って同時に存在している」ということを意味します。意味しますけど、意味不明です。

だって、私たちが知っている猫は、生死の可能性が重なり合っているなんてことありませんから。シュレーディンガーの主張もそこにありました。

「見えないミクロの世界だからコペンハーゲン解釈だなんて言ってるけど、普通に見える世界に当てはめたらイミフでしょ?」

この実験には、不完全な量子力学への皮肉が込められていました。しかし図らずもこの思考実験は、ひとつの希望を提示します。

つまり、ミクロの世界と連続的に繋がっている私たちの生活そのものにも、量子論は適用され得るということ。その意味は

「この世のあらゆるものは、観測以前は可能性の状態である」

ということです。

天才数学者が残した言葉の意味

学者たちはうすうす気づき始めます。西洋的、科学的思考だけでは解明できない宇宙の深大さに。

ノーベル賞も受賞したニールス・ボーアは量子物理学と東洋哲学の類似性に気づき、晩年は東洋哲学の研究に没頭しました。

同じくノーベル賞学者であるエルヴィン・シュレーディンガーもまた、生涯ヒンドゥー教ヴェーダーンタに興味を示し続けました。ヴェーダーンタとは「宇宙の本質」と「自己の深層」が同一であると説く哲学です。

最先端の科学である量子論を研究する賢人たちが、そろって東洋哲学に救いを求めたこと、これは偶然とは思えません。

そして天才数学者ジョン・フォン・ノイマンは言うのです。

「可能性の中から状態を決定するのは、人間の心である」

 

少しだけ、科学と「引き寄せの法則」が近づいた気がしませんか。