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体内にある「気」の正体は?

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はじめに

立て続けに「気」の話をしましたが、腑に落ちない方もいるかもしれません。たしかにやや唐突でした。昨日の記事を書きたいから科学の話などを続けてきたわけではありますが、少しご説明が足りなかったかもしれません。

ここは「理屈があるから腑に落ちる」をモットーとする屁理屈ブログですから、少し補足説明をさせてください。すなわち「気」とはなんぞや?

「気」とは何か?

「気」とは言ってもマンガに登場するアレとは、少し趣が異なります。クリリンのことではありません。順を追って、個人的見解を述べさせて頂きます。

①不随意運動に本当に意志は介さないのか

主に臓器を動かすための、自分の意志によって動かすことができない筋肉を不随意筋といいます。たしかに自由に心臓を動かすことができる人はいません。逆に止めることができる人もいません。生きている限り、勝手に動いています。なぜでしょうか? それは生きていたいから。生きるという意志が、不随意筋を動かす原動力なのです。

②ブアメードの血

1883年(年代は諸説あり)、ブアメードという死刑囚を使って、ある残酷な実験が行われました。端的にいうと目隠しをしたブアメードに「人間がどれくらい血を失ったら死ぬか試すよ」といい、首に針を刺します。しかしこれは実際は小さな傷で、血はほとんど流れません。代わりにサイフォンを使って足元の容器に水を垂らし続け、その音でブアメードにあたかも本当に血が流れ続けているように錯覚させたのです。数時間後。絶望したブアメードは、ほぼ血を失っていないにも関わらず、死亡しました。

③実験が示唆すること

ブアメードの実験が意味することは、生きるという意志を失くすと不随意筋の運動が止まるということ。これは①で仮定した「不随意筋は生きる意志が動かしている」という説を裏付けるものではないでしょうか。つまり無意識の意志というやや矛盾した力が、人間を生かしているのです。

④意志というエネルギー

人間の体には常に意志の力が働いている。これが正しいとすると、つまり筋肉を動かす信号が常に発されているということになります。信号とは電気であり、電気とはエネルギーです。体の隅々にまで行き渡るエネルギーは、確かに存在しているといえそうです。

⑤意志エネルギーの余波≒オーラ

どんどん胡散臭くなってきますが、今のところ論理の飛躍はありませんよね?ね?とりあえず進めます。意志エネルギーが全身にある。それはオートマチックで不随意筋を動かしている。では動かしたエネルギーの余波はどこに行くのか? それは不定形のエネルギーですから、一部は体から放出されることでしょう。これが一般に「オーラ」と呼ばれるもの正体です(と僕は思ってます)。不随意筋を動かした意志の余波であれば、その性質、つまり無意識の意志の性質に個人差があることも、それにより人となりが見えることも違和感なく受け入れられます。

⑥放出されず循環する余波が「気」

不定形のエネルギーは経路のある方向に進むため、すべては放出されず、残りは血管や筋繊維に沿って体内を循環します。これが「気」の流れです。このエネルギー、元は自分の意志なのですから、同じ意志でもって制御することができないはずはありません。それが昨日の「気を練る」という作業です。

⑦意志のエネルギーは最後まで意志

練ることでより力強くなった意志エネルギー。しかしその本質は意志です。だから腕に流せばより意志が通じやすくなる=コントロールの精度や出力が上がる、脳に流せばより強い意思を生む、性感帯に流せばムフフ、という結果に繋がるのです。別に性感帯にこだわってるわけじゃありませんよ。

 

というわけで、なかば無理やり論理的解釈をしてみたわけですが、いかがでしょうか? 「気」という概念が少しでも受け入れやすくなって頂ければ幸いです。しかし「絶対認めねぇ!」という人でも、ぜひとも昨日の瞑想をお試し頂きたいです。

経験は千の理屈に勝る。何度も繰り返す確信の秘訣は、そこにしかないのですから。

 

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