科学と引き寄せの前提条件
さて、今回は量子論的解釈について。
の前にお断りを。スタートラインからそうなのですが、僕は引き寄せの科学的根拠を断定するつもりはありません。
皆さん(と自分自身)の「確信」を加速することを目的とする当ブログ。「これは科学的にも証明されているのです!」と言い切るができればそれは良いことですが、引き寄せという目に見えない現象においてそれは困難です。
できることは科学の概略をわかりやすくご紹介しつつ、それが引き寄せの法則の解釈に繋がるんじゃないかというご提案をしてみるだけ。あるいは自身の体験を、科学との紐付けをしつつご紹介するだけ。
言い訳がましいようですが、何度も言うように確信は体験によってのみ生まれるのですから、その体験の元となる情報をさまざまな角度から紹介していくよという趣旨でございます。とりあえずそんな前提で進めてみましょう。
量子論で証明する無意識の領域
量子論の主流となるコペンハーゲン解釈によれば、観測前の量子は可能性の波、つまりぼんやりとした状態で複数箇所に同時に存在しているのでした。
しかし量子は極小であるため、その存在可能性の分布範囲はマクロの視点から見ると非常に狭いのです。つまりA地点であろうとB地点であろうと(マクロ的には)同じにみえるため、結果として量子の集合である物質や生物は常に定量的な形を保って見えるのです。
しかし問題の本質はそこではありません。量子という可能性の波であること、それが観測することで実在となること。では、常に実在していることを知っている私たちそれぞれの体は、誰によって観測されているのか。
たとえばコタツに入っていて下半身が見えなくても、僕はそこに自分の足があることを知っています。もちろん観測は目だけではありません。血が流れ、温度を感じ、触れる布団の柔らかさを知覚している。それももちろん観測です。でも意識はしていませんよね。コタツに入りながら「よし、足あるな」なんて常に考えていたら、ミカンも喉を通りません。無意識に観測し、無意識に知っている。
つまり僕の体を実在させている観測者とは、僕の無意識(=潜在意識)ということになります。
意識と集合的無意識の繋がり
先日の図で言いますと、常に見えないと思っていた潜在意識が
実はしっかり僕のことを見てくれていたのです。そうでなければ常に実在していることの説明がつきませんから。良かった。届かぬ思いを伝えるだけの片思いではなかった。
さらに言えば、潜在意識は集合的無意識と繋がっているのですから、つまり僕の人生は集合的無意識が常に見守っているということになります。
こちらから同調することができ、あちら側から見守っている。つまり相互作用がある。ここでもう一度思い出して頂きたいのが量子物理学者エルヴィン・シュレーディンガーの言葉。
「一切の精神はひとつだというべきでしょう」
ここまでお読み頂ければ、この言葉の意味が以前より少し腑に落ちるのではないでしょうか。そして深層意識に同調することの重要性も、改めてわかって頂けるかと思います。
次回はそんな集合的無意識の正体について。