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[外堀から埋める14]ユングの提唱した人類共通の記憶

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人間の記憶はどこにある?

代謝という言葉があります。人間の細胞は日々生まれ変わっていて、その数は1日に約1兆個。これにより肌は約1ヶ月、内臓は約1年、骨は約2年半で、まったく新しい細胞と入れ替わるのです。つまり2年半ぶりに再会した人は、体を構成する細胞に関しては、まったくの別人であるといえるわけです。

しかし何年ぶりに会おうと、知人は知人。別人ではありませんね。それはなぜでしょう? 以前会ったときと、個体としてはまったく別物であっても、同一人物として認識する理由。それは、記憶と意識が同じであるからです。つまり人間の本質は、記憶と意識であるとも言えるでしょう。

ではその記憶と意識は、どこにあるのでしょうか?

そんなの聞くまでもない。当然「脳」である。それが皆さんの答えでしょう。しかし、おかしいですね。先の代謝の話ですと、脳は1ヶ月に約40%、1年ですべての細胞が入れ替わるといわれています。脳細胞が入れ替わっているのに、そこに保存されている記憶は変わらない。たとえば「脳のこの部分に記憶を置いておく」という命令があるとしましょう。しかし、その命令を実行する部分もまた、代謝により更新されているのです。なぜ、再生を経ても記憶は変わらないのか。それは未だ解明されない脳の不思議です。

すべての人類が持つ共通の記憶

少し話が逸れますが、言語の話をしてみましょう。

たとえば、海。

英語で海は「sea」、女性を表す「she」とよく似た発音です。フランス語では海である「mer」と母を表す「mère」も同様であり、さらに川が海に注ぐことは性行為の隠喩だったりもします。性差のある言語では、海はほとんどが女性名詞ですね。そして中国語や日本語の「海」も字の中に「母」を含みます。「うみ」が「産み」に由来するという論もあるようです。

このように、多くの言語で「海」を母なるものとして扱っています。

19世紀ダーウィンが進化論を唱えました。それによると、人類は海のなかの単細胞生物から進化した姿です。文字通り、海が母として育んだ生命です。

しかし、最古といわれる中国語は紀元前15世紀以前の誕生、その他の言語も、古から使われています。これらの言語創成期に、このような論はありません。神話の世界の神が、一夜にして生み出したのが人類であるという理解だったことでしょう。

ではなぜ、古代の人々は、一様に海に母性を見出したのでしょうか? その時代に文化の交流はおろか、他に文明があることさえも知られていなかったにも関わらず。

海の話ばかりではありません。多くの文明で神話に共通点が見られること。あるいは生まれてはじめて見る蛇を、多くの人が本能的に嫌悪すること。教えられるのではなく、元から知っている。そんな記憶が人類にはあるようです。

記憶はクラウドに保存されている? 

分析心理学者の祖であるカール・ユングは、この人類共通の記憶を「集合的無意識」と名付けました。人類は個々の持つ記憶とは別に、種として全体の記憶を保存しているのではないか。つまり、PCに例えるなら、記憶はローカルだけでなくクラウドにも保存されているということになるのです。

だから誰に教えられることもなく、海に故郷を感じ、蛇に嫌悪感を持つのです。これらはDNAに記されている種の本能とは別物です。蜘蛛が巣を作る。鳥が卵を温める。鮭が川を遡上する。これらがDNAに記された命令であるというのは、理解できます。

しかしさらに細かな情報を、あるいはある種の物語を記すには、DNAの塩基配列では容量が少なすぎるのです。

ユングはそれを集合的無意識と呼びました。しかしその保存場所までは特定できていません。代謝を繰り返し、日々生まれ変わる細胞のどこにも、長期的に記憶を保存する場所などないのですから。

それは、未だ解明されていない心の奥底かもしれませんし、宇宙のどこかにあるデータベースかもしれません。しかしそれがどこであろうと、集合的無意識なしに文明や個人の思考を説明することができない。それは集合的無意識の存在証明に成りうるのではないでしょうか。

そしてこの集合的無意識が、続くシンクロニシティ共時性)の解明につながります。

次回は、そんな共時性の話です。