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[外堀から埋める04]次元論と感覚について

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次元とは?

数学的定義における「次元」は非常に理解が難しい部分です。単純に数式上の関数である場合もあれば、「シュレーディンガーの猫」のような思考実験の舞台となることもあります。しかし、前項の「多世界解釈」を考える際、この次元の思考が役に立つかもしれません。

まずは基本的なお話から。私たちの生きるこの宇宙は、通常「3次元」で成り立っていると考えられていました。「0次元」は点、「1次元」は線、「2次元」は平面、「3次元」は立体です。そして「三次元」にに時間の経過の概念が加わったものが「4次元」です。

 

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なかななわかりにくいですね。パワーポイントの限界を感じてきました。

この「4次元」、つまり立体世界に時間の概念を加えたのは、かのアインシュタインです。これにより、現在私たちは「4次元」の世界に生きているということになります。ここまでは普通の話です。

しかし、もしも、私たちが「2次元」の住人だっとしたら、「3次元」を知覚することはできるでしょうか?

答えは、できません。高次元の概念というものは、そもそも知覚することが不可能なのです。

仮に一枚の紙に描かれた漫画のキャラクター「二次元大介」に意志があるとしましょう。僕はいま、その紙を机に置いて、見下ろしています。しかし二次元大介は、その視線に気づくことができません。なぜなら彼らの概念に「高さ」は存在しないからです。平面の上を縦横自由に動きながらも「高さ」なんてものがあることは、知る由もないのです。

さあ、僕はイタズラ心を起こして、その紙にインクを落としてやろうとします。インクの瓶を開けたよ! 瓶を傾けて、ほら、インクが溢れる! あー、垂れたよ、ああ紙に落ちる!

でも、二次元大介は気づきません。そしてインクが紙に落ちてはじめて、「0」から「1」に変わるがごとく、突然二次元の世界が真っ黒になるのです。

物理学、数学上の次元の考え方

というように、上の次元は認識自体が不可能なものです。ではなぜ数学や物理学の世界では、多次元という考えが出てきているのでしょうか。実はその解法は、やや逆説的な思考となります。

「1次元」である「線」の端っこの部分を見てみましょう。そこには「0次元」の点があります。「2次元」の「面」の端には「1次元」の線があります。同様に「3次元」の端は「2次元」の面です。

このように、端にあるものがひとつ下の次元であることを考えることが、高次元の定義となります。つまり端に「3次元(=立体)」があるものが「5次元(数学理論上は4次元)」というわけです。

立体が端といわれても想像がつきませんが、これが数学的な次元の考え方です。ちなみに現在提唱されている「超弦理論超ひも理論)」においては世界が「11次元」であるといわれています。

知覚できない次元の存在

「二次元大介」に私たちの存在が知覚できなかったのと同様に、私たちは上の次元を知ることができません。そこに何者かが存在して、こちらを見ているとしても、知る術はありません。しかし、理論上は上の次元というものは、たしかに存在しているのです。

ここにこそ、「量子論」の「多世界解釈」あるいは「コペンハーゲン解釈」の答えがあるのではないでしょうか。

重なり合うように存在する、と言われてもピンと来ませんし、複数の世界が平行して存在するというのも、なかなか腑に落ちるものではありません。

しかしそこに多次元的な世界があるとすれば、他の可能性はすぐそばに、しかし知覚できない場所に、いまも存在しているのでしょう。

次回は多次元の理論に基づく、「監視する他者」について考えてみます。