[外堀から埋める15]シンクロニシティとカラーバス効果

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シェルドレイクの仮説

たとえばペットと飼い主の話。

不規則な仕事に従事する飼い主が会社で帰り支度を始めると、離れた家にいるペットがそわそわし始める。

これはケンブリッジ大学の生物学者ルパート・シェルドレイクが唱えた仮説を元に、日本のテレビ番組が実験を行い実証した事実です。

あるいは騙し絵の実験も有名ですね。

一見すると何が描かれているかわからない騙し絵AとBを用意し、まず道行く人に訪ねます。ほとんどの人が、どちらの絵も何が描かれているか答えられません。次に最初の1枚である「騙し絵A」の解答をテレビで公開し、もう1枚の「騙し絵B」の解答は秘密のままにします。

このテレビの放映後、再び道行く人にテストをしてみます。すると当然「騙し絵A」の正解率が上がり、「騙し絵B」の正解率は変わりません。それはそうだ。直接テレビで見たか、視聴した知り合いとの話題にでも上ったのだろう。

それは違います。

「騙し絵A」の正解率は、このテレビ番組がまったく放映されない遠隔地や僻地においても、同様に上昇したのです。

(参考:『世界を変える七つの実験』ルパート・シェルドレイク著)

 

通常、世界の現象のすべてには、原因→結果という流れがあります。

太陽光により海水が温められて蒸発し、密度の減少にともない上昇、気圧の低い上空で冷やされて水の分子が結合し、質量を増して雨として地上に落下する。物理学で説明できる原因と結果であることから、これを「因果性」と呼びます。

一方で、上記のように離れた場所のペットが主人の帰宅を察知すること、第三者の得た知識が離れた場所に伝播することなど、一見して現代物理学で原因が特定できず、結果だけが表れる現象をシンクロニシティ共時性/同時性)と呼びます。

ちなみに訳語が2種類あるのは、リンカーン大統領とケネディ大統領の暗殺における不思議な符合のように、距離だけでなく時間を越える偶然の一致もあるため。子どもの頃に北海道で拾って何故か大切に持っていた石の欠片の断面が、新婚旅行で訪れた沖縄で拾った石の断面とぴったりくっついた、なんて話もありますね。

たとえば、あなたがパソコンで文書を打っていて、ENTERキーを押した瞬間に、遠く離れた国で地震が起きました。これはおそらくただの偶然です。

しかし、同じ状況でENTERキーを押した瞬間に停電が起きたとしたらどうでしょう? あなたは自分の行動と起きた現象(停電)の因果関係を考えることでしょう。

因果の特定は困難であるけれど、対象者に何かしらの意味を考えさせる偶然。これがシンクロニシティです。

身近なシンクロニシティ

シンクロニシティは、なにも先の例のような大それたものだけではありません。

ふと街中でスパイス香りを感じてカレーが食べたいなと思っていたら、帰宅後の夕飯の食卓にカレーが並んだ。友達に連絡を取ろうとスマホを取り出したら、ちょうどその友達から連絡が来た。ふと時計を見ると、なぜか自分の誕生日の数字であることが多い。これらもシンクロニシティの例です。

原因はなく、ただ結果だけがやってくる。表面的にはそう見える現象。しかし、私たちが常識の拠り所とする物理学は、因果性の学問です。理由のない結果はない。結果があるなら、何かしらの理由がある。

ユングはその理由を、人間の意識同士が無意識下で交流しているからとしました。そしてその説は、たしかに身近にあるシンクロニシティの理由を、矛盾なく説明することができています。

しかし、無意識下で交流するネットワークは? 交流の媒体は? そのための器官は? これは本当に科学なのか。あるいはオカルトなのか。その結論は長い間見つかりませんでした。

カラーバス効果

特定できない因果の説明としてカラーバス効果が用いられることがあります。色(カラー)を浴びる(バス)でカラーバス。よく間違われていますがカラーパスではありません。念のため。

これは意識を向けた情報がより多く舞い込んでくるという心理学的効果のこと。

たとえば今すぐに、まわりをぐるりと見渡してみてください。

はい!

 

さて、今見た景色のなかに、緑色ってありましたか? ではもう一度、緑色を意識して見回してみてください。

どうでしょうか? 思っていたよりも多く、身の回りには緑色があるのではないでしょうか? 

これがカラーバス効果です。DoCoMoからソフトバンクに変えたら、毎日使っている駅前にソフトバンクショップがあったことに気づいた。携帯電話が壊れてはじめて、家の目の前に公衆電話があることに気づいた。これらもカラーバス効果ですね。

ビジネスシーンにおいても非常に有用な考え方である上に、引き寄せの法則とも親和性の高いカラーバス効果。いずれまた詳しくお話しようと思いますが、今回はシンクロニシティとの関連性について。

たとえば先の「時計を見ると自分の誕生日の数字であることが多い」というのは、カラーバス効果で十分に説明ができそうです。他のときに時計を見ても、時間だけを見てとくに意識はしない。それが自分の誕生日という意味のある数字のときには「お! 誕生日やんけ!」となって意識に刻まれる。だからその確率が実際よりも高く感じられるというわけです。

でも、本当にそれだけでしょうか? 特別な数字を目にすること、意外と多いですよね。それが意識に刻まれるだけで、ここまで差が生まれるものなのか。さらにカラーバス効果だけではどうにも説明のつかない意識の伝播はどうなのか。

次回、それらの答えを探します。いよいよ外堀も埋まってきました。

 

 

[外堀から埋める14]ユングの提唱した人類共通の記憶

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人間の記憶はどこにある?

代謝という言葉があります。人間の細胞は日々生まれ変わっていて、その数は1日に約1兆個。これにより肌は約1ヶ月、内臓は約1年、骨は約2年半で、まったく新しい細胞と入れ替わるのです。つまり2年半ぶりに再会した人は、体を構成する細胞に関しては、まったくの別人であるといえるわけです。

しかし何年ぶりに会おうと、知人は知人。別人ではありませんね。それはなぜでしょう? 以前会ったときと、個体としてはまったく別物であっても、同一人物として認識する理由。それは、記憶と意識が同じであるからです。つまり人間の本質は、記憶と意識であるとも言えるでしょう。

ではその記憶と意識は、どこにあるのでしょうか?

そんなの聞くまでもない。当然「脳」である。それが皆さんの答えでしょう。しかし、おかしいですね。先の代謝の話ですと、脳は1ヶ月に約40%、1年ですべての細胞が入れ替わるといわれています。脳細胞が入れ替わっているのに、そこに保存されている記憶は変わらない。たとえば「脳のこの部分に記憶を置いておく」という命令があるとしましょう。しかし、その命令を実行する部分もまた、代謝により更新されているのです。なぜ、再生を経ても記憶は変わらないのか。それは未だ解明されない脳の不思議です。

すべての人類が持つ共通の記憶

少し話が逸れますが、言語の話をしてみましょう。

たとえば、海。

英語で海は「sea」、女性を表す「she」とよく似た発音です。フランス語では海である「mer」と母を表す「mère」も同様であり、さらに川が海に注ぐことは性行為の隠喩だったりもします。性差のある言語では、海はほとんどが女性名詞ですね。そして中国語や日本語の「海」も字の中に「母」を含みます。「うみ」が「産み」に由来するという論もあるようです。

このように、多くの言語で「海」を母なるものとして扱っています。

19世紀ダーウィンが進化論を唱えました。それによると、人類は海のなかの単細胞生物から進化した姿です。文字通り、海が母として育んだ生命です。

しかし、最古といわれる中国語は紀元前15世紀以前の誕生、その他の言語も、古から使われています。これらの言語創成期に、このような論はありません。神話の世界の神が、一夜にして生み出したのが人類であるという理解だったことでしょう。

ではなぜ、古代の人々は、一様に海に母性を見出したのでしょうか? その時代に文化の交流はおろか、他に文明があることさえも知られていなかったにも関わらず。

海の話ばかりではありません。多くの文明で神話に共通点が見られること。あるいは生まれてはじめて見る蛇を、多くの人が本能的に嫌悪すること。教えられるのではなく、元から知っている。そんな記憶が人類にはあるようです。

記憶はクラウドに保存されている? 

分析心理学者の祖であるカール・ユングは、この人類共通の記憶を「集合的無意識」と名付けました。人類は個々の持つ記憶とは別に、種として全体の記憶を保存しているのではないか。つまり、PCに例えるなら、記憶はローカルだけでなくクラウドにも保存されているということになるのです。

だから誰に教えられることもなく、海に故郷を感じ、蛇に嫌悪感を持つのです。これらはDNAに記されている種の本能とは別物です。蜘蛛が巣を作る。鳥が卵を温める。鮭が川を遡上する。これらがDNAに記された命令であるというのは、理解できます。

しかしさらに細かな情報を、あるいはある種の物語を記すには、DNAの塩基配列では容量が少なすぎるのです。

ユングはそれを集合的無意識と呼びました。しかしその保存場所までは特定できていません。代謝を繰り返し、日々生まれ変わる細胞のどこにも、長期的に記憶を保存する場所などないのですから。

それは、未だ解明されていない心の奥底かもしれませんし、宇宙のどこかにあるデータベースかもしれません。しかしそれがどこであろうと、集合的無意識なしに文明や個人の思考を説明することができない。それは集合的無意識の存在証明に成りうるのではないでしょうか。

そしてこの集合的無意識が、続くシンクロニシティ共時性)の解明につながります。

次回は、そんな共時性の話です。

[外堀から埋める13]物理学が予想した宇宙の起源

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ビッグバン説の証拠

量子論」、「相対性理論」、そして「超弦理論」の進歩が、少しずつ宇宙の姿を私たちに教えてくれました。そして議論は宇宙の誕生にまで遡ります。

約138億年前、そこには何もなかった。

何もない空間があるのではなく、空間さえもなかった。そして空間がないから、時間さえも流れていなかった。完全なる無。想像することもできませんが。

ある時突然、その無のなかに特異点と呼ばれる無限の密度を持つ点が生まれた。無限の密度。そこはあらゆる秩序のない世界。未来と過去の区別さえない混沌の世界。

その特異点の誕生から1秒も経たないうちに、宇宙は爆発的に広がります。これがいわゆるビッグバンです。

遠方の銀河が遠ざかっているという観測的事実。そして光の性質と空間の歪みを明らかにした相対性理論。その両者を照らし合わせると、宇宙は現在も膨張を続けているという結果になります。

広がる行く先、つまり「宇宙の外側」には何があるのか。それはわかっていません。しかし宇宙が大爆発により誕生したというのは、確実とみなされています。それは証拠が見つかっているからです。

電磁波の波長

目に見える光と、携帯電話やTVの電波。これらは実は同じものです。さらに言えばレントゲン写真のX線、センサーなどにも使われる赤外線、お肌の大敵・紫外線、電子レンジのマイクロ波。これも皆おなじ。すべて電磁波という波の一種です。

では同じ電磁波なのになぜ性質が異なるかというと、それは波の波長が異なるから。凪いだ日の穏やかな海と、台風に荒れる海の波の違いのようなものです。

たとえば、こんな感じ↓

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そして、波長(波のギザギザの緩やかさ)が異なることで性質が変わるということは、つまり、電磁を無理やり引き伸ばすことができれば、性質を変えることができるということになります。

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しかし「現象」である「波」を引っ張るというのは不可能な気がします。そもそも触れることができないのですから。現実的に「電磁波を引っ張る」のは、電磁波が存在する空間そのものを拡大するくらいしかなさそうです。しかしそんなことは、できるはずもありません。普通なら。

そこでビッグバンです。

電磁波が引き伸ばされていることがわかれば、それは逆説的に「宇宙が膨張している」ことの証拠になるのです。

偶然キャッチした宇宙誕生の証拠

1964年。電話の発明で知られるグラハム・ベルが設立したベル研究所の研究者であるペンジアスとウィルソンの二人が、アンテナの雑音を減らす研究をしていました。

ペン「雑音が入ってくるな」

ウィル「なら、こっちの方向に向けたらどうだろう?」

ペン「ダメだ。まだ雑音が入る」

ウィル「なら、こっちは?」

ペン「ダメだ。雑音だ」

ウィル「もういっそ、こっち向けちゃう?」

ペン「いやいや、それはさすがに……あダメだ。また雑音だ」

ウィル「雑音パネー! あ、こっちは?」

ペン「ダメ。また雑音……ってあれ?」

ウィル「どうしたの?」

ペン「どの方向からの雑音も、周波数おなじっぽい」

ウィル「あじで?」

ペン「あじで」

という感じで、別の研究中に偶然にも、宇宙のどの方向からも同じ周波数の電波が届くことを発見したのです。

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ビッグバンは巨大な爆発です。当然、光を発します。そして宇宙空間が広がるにつれて、その光(可視光線)の波長はどんどん伸ばされます。その後、宇宙のなかに地球が生まれます。だから原初のビッグバンで可視光線だった、今は伸ばされてしまった電波が全方向から地球に降り注ぐのです。

偶然キャッチされた、宇宙からの電波=宇宙背景放射。これは宇宙がビッグバンにより誕生した証拠だとされています。

 

そして宇宙から絶えず電波が降り注いでいること。

それが意味することが、少しずつ明らかになり始めています。

 

次回からは少し角度を変えて、哲学・心理学的な話になります。

 

 

[外堀から埋める12]ざっくりと超ひも理論

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科学者は常識にとらわれない

さて、前回の話のように、近代科学の両輪とされる「量子論」と「相対性理論」ですが、一部においては両者に矛盾が見られました。どちらかが間違っているのか、それとも足りない部分があるのか。そのような視点で、新たな理論が模索されます。

トライ&エラーで間違った部分を調整しながら進化するのは、科学の歴史そのものです。そして科学の世界では「常識的にありえない」という考えはありません。その常識を作っているのが、彼ら科学者なのですから。

考えてみてください。

2世紀にクラウディオス・プトレマイオスにより提唱された「天動説」は、16世紀のコペルニクスガリレオ・ガリレイの時代まで常識でした。1400年間常識だと思われていたこと。生まれてから死ぬまで天動説が常識であった人が、30世代近くもあったわけです。体感的にも天動説の方が信じやすいでしょう。何しろ、現在立っているこの地面は、動いてなんていないのですから。きっと生涯を天動説の研究にだけ費やした科学者もいることでしょう。

それが突然、「実は動いているのは地球でした!」となりました。果たして私たちがその場にいて、素直に受け入れられたでしょうか。

それができるのが、科学者という人たちなのです。自分の感覚や世間一般の常識、過去の事例や大勢の意見ではなく、ただ観測結果から結論を導く。一見してありえなそうなことでも、実験結果や数式が表す現状を解釈すると、そういう理論となることが否定できない、となればそれは大真面目に議論する。

科学者はリアリストの最前線に立つあまり、一周まわってロマンチストなのかもしれませんね。

だから「宇宙ホログラム説」や「シミュレーション仮説」だって、否定材料がないかぎり立派な学説なのです。

ひも理論の誕生

さて、話が逸れてしまいましたが、科学者は考えます。非常に完成された理論である「量子論」と「相対性理論」が矛盾する。ならば、どこをいじればその矛盾を解消できるのか。

そしてひとつの仮説が持ち上がります。

それはいままで「点」だと考えられていた(観測下の)量子が、「線」なのではないか。0次元の点でなく、1次元の線ならば、いくつかの矛盾は解消できるのではないか。

そうして生まれたのが「ひも理論」です。

この理論によると、小さすぎて点に見えていた量子をドアップにしてみると、実は線(=ひも)である。そしてその線が振動しているから、それぞれの振動に合わせて状態が確定する、ということになります。

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そしてその線が振動することで、性質を確定するのですが、この際の動き方の共通性から線は、「ただの髪の毛のように一本のひも(開いたひも)」と「輪ゴムのように閉じたひも」の2種類があるとの仮説が立てられました。

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なんとも唐突な理論ですが、これに当てはめてみると従来の矛盾が次々と解消していったのです。

ひも理論を越える「超ひも理論

このように画期的な「ひも理論」ですが、やがていくつかの疑問も湧き上がります。それは「ひもの振動だけでこの世のすべてが表現できない」ということでした。

どうやら量子はひもでできていて、それが振動しているのは確かなようだ。しかし、この3次元世界の縦横上下の方向だけで、この世のすべての物質まで差別化できない

そこで科学者は、常識に囚われずに考えます。縦横上下だけでなく、ほかの方向にも振動しているのではないか。その方向が、私たちに知覚できていないだけではないか。

こうして量子論のときにも登場した多次元の概念が戻ってきました。

参考:[外堀から埋める04]次元論と感覚について - 急がば回る引き寄せの法則

振動はしているけど、その方向が見えないだけ。だから、仮定した別次元方向への振動を計算に入れれば、この世のすべての物質になりうる。そうして導き出されたこの宇宙は「10次元空間+1次元時間」の11次元となります。

さらなる謎を解明する超ひも理論の発展

素粒子を扱う科学にはもうひとつ大きな謎がありました。それは「力の強さ」の問題。素粒子の世界には「電磁気力」「素粒子同士をくっつける力」「重力」という3つの力があるのですが、ほかの2つに比べて「重力」の弱さが計算と合いません。

理論はわかっているのに、計算結果だけが合わない。まるで、どこか別のところに力が逃げているかのように。

そこで、この世界は3次元の膜に覆われているという「ブレーン理論」が生まれます。

3次元の膜というのも想像が難しいですね。東京ドームのように2次元(=平面)の布が3次元空間を覆っているのではありません。膜自体が3次元で、それがさらに高次元の世界を覆っているのです。

そして先程の「髪の毛」の方の「開いたひも」は、その膜にくっついているため3次元内しか認識できず、行動もできない。「輪ゴム」の方の「閉じたひも」は、くっついていないから、高次元へ行けるというのです。

この「輪ゴム型閉じたひも」が重力(の元である重力子)であり、それ以外は全部「髪の毛型開いたひも」である。だから重力だけが高次元の影響を受けるのである。

わかりやすく1つ次元を落としたモデル↓

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つまり重力が弱いのは、他の次元に力が分散しているから。つまりこの理論に則る限り、逆説的に多次元の存在は確定しているのです。

非常に難しいところですので、あまり突き詰めて理解しなくても良いと思います。僕も理解してません。ただ、量子はひもの振動である、重力が弱いのは多次元へ分散しているから、理論上の世界の構成は11次元というあたりを覚えておくと良いのではないかとも思います。

次回からは物理学が予想した宇宙の始まりについて。少しずつ核心に迫ります(予定)。

 

[外堀から埋める11]量子論と相対性理論の矛盾

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未完成の最先端科学

このように、量子論相対性理論は先端科学の両輪として人類の宇宙への理解を躍進させました。もちろん、現在においてもこの2つの論は、物理学の中心にあります。しかし、どちらも一定の完成を見た両論ですが、矛盾がないわけではありません。

 

たとえば1粒の小さな量子を、半分にちぎってみましょう。すると双子の量子兄弟ができます。

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量子は地球の自転のように回転しているのですが、この双子には不思議な性質があり、兄が右に回転するなら弟は左、兄が左なら弟は右、というように、常に反対回りに回転するのです。これは観測された事実です。

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さて、ここで思い出して欲しいのが量子の不確定性の話。人が観測するまで量子は「可能性の波」というあやふやな状態なのでした。回転に関しても同様に、観測するまでどちら回りなのか決まっていません。ここで重要なのは、見るまでどちら回りなのかわからないのではなく、まったく決まっていない、ということです。

 

情報が時空を飛び越える

「双子は常に反対回り」、そして「観測するまで決まっていない」という2つの事実。これを合わせて考えてみます。密閉された箱に入れた双子。兄を観測したら「右回り」でした。するとその瞬間、弟は観測せずとも「左回り」であることが確定します。

 

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ならば兄弟それぞれが密閉された2つの箱を、宇宙の端と端に持っていってみるとどうでしょう。そこで兄を観測したら「右回り」だった。すると遠く離れた宇宙の端にある弟は、タイムラグなしに、瞬間的に「左回り」が確定します。つまり、距離を越えて情報が伝わっているのです。

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相対性理論によると、光速を越える速度はないはずです。途方もない距離を、瞬間的に情報が伝わる。これはどういうわけでしょう。この現象を量子もつれと呼びます。

 

状態を遠くに送るテレポーテーション

さらに発展させて考えてみましょう。

先程と同じように量子を2つに引き裂きます。さらに今度はもう1つの量子も2つに割きます。そして量子①の片割れである「B」を、量子②の片割れである「C」とくっつけてしまいましょう。

 

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もう1度、離れた場所で観測してみます。量子Aの箱を開けてみると、「右回り」でした。つまり量子Bは「左回り」で確定です。そして量子Bとくっついている量子Cも、合わせて「左回り」に回転していまいました。すると、量子Cの片割れである量子Dは「右回り」、量子Aと同じ状態となります。

 

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つまり、量子Aの状態を、離れた場所の量子Dにコピーしてしまったのです。これが量子テレポーテーションです。

 

テレポーテーションなんていうとSFの世界の話のようですが、これはすでに実験が成功しています。つまり、離れた場所に情報が伝わることを否定していたアインシュタインは、この部分においては、誤っていたのです。天才にも誤りはあるのですね。

 

次回は量子論相対性理論を統一する新たな理論について。

[外堀から埋める10]一般相対性理論が示す空間の歪み

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特殊相対性理論一般相対性理論

前回までの特殊相対性理論は、名前の通り「特殊な状況下でのみ」認められる論理でした。その状況とは、等速直線運動。電車の例のように、あるいは算数の問題のように、一定の速度でまっすぐに進む物体にのみ適用されるということです。

そんな特殊相対性理論の発表から10年後、アインシュタインは満を持して一般相対性理論を発表しました。「一般相対性原理」つまり、動いている人にも止まっている人にも、宇宙の天体にも、海の底にも、あらゆる一般対象に共通する原理というわけです。

そしてこの理論は「時間が遅れる」「重くなる」「縮む」という特殊相対性理論に加え、さらなる未知の世界を提示してくれました。

一般相対性理論が示す重力の不思議 

一般相対性理論がまず説明してみせたのは、重力/引力の問題です。重い物体には強い重力が働くというのは、ご存知「万有引力の法則」です。万有ということは、軽い物体にも引力はあるということ。地球にも、月にも、そして私たち人間にも、引力はあります。私たちは地球にただ引きつけられているのではなく、地球とお互いに引きつけ合っているのです。

ではなぜ、重い物体に強い引力があるのか。一般相対性理論はそれを、空間の歪みで説明します。

想像してください。ここにトランポリンと2つの玉があります。

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では、まずトランポリンに軽い玉を置いてみます。

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急に横からの図になったのはパワーポイント力の限界のためです。察してください。とにかく軽い玉を置いてみると、

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わずかですがトランポリンがたわみます。まわりはこの軽い玉に引きつけられます。

次に、この同じトランポリンに重い球を置いてみます。

 

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すると、

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表面は大きくたわみ、軽い玉は重い球に向けて転がりました。これが重力です。しかし世界は2次元のトランポリンではありませんし、私たちの目に映る世界も歪んではいません。

では、どの方向に歪んでいるのか。そこで登場するのが次元の話です。

以前、上の次元の存在は知覚できないという話をしました。知覚はできません。どの方向に歪んでいるのかはわかりません。しかし確かに空間は歪んでいるのです。

なぜそう言い切れるのか。それは観測されたからです。

実際に観測された空間の歪み

ある皆既日食の日、星を観測することで空間の歪みを実証しようという試みが行われました。太陽は巨大な質量を持ちますから、一般相対性理論が正しければその周辺の空間は歪んでいるはずだ、と。皆既日食の日が選ばれたのは、単に太陽がまぶしくてそれ以外の日だと星が見えないからです。

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結果、星は本来ある場所から離れた場所に観測されました。見事に理論通り。星の位置は、実際の場所よりも太陽から遠く観測されたのです。これは星の発する光が太陽の側を通るとき、時空の歪みにより曲がってしまったため。場所も予測した通りでした。

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光が太陽の重力で引きつけられたのでは? という疑問もあるかもしれませんが、思い出してください。光の粒である光子に、質量はありません。そのため(従来の)引力の影響は受けないはず。つまり重量に引かれるのではなく、空間そのものが歪んでいるというわけです。

空間の歪みと時間の関係

では、空間が歪むとどうなるのでしょうか。歪んでいるわけですから、いろいろと影響も出てきますが、一番はやはり時間の流れでしょう。

たとえば重い天体(=重力が強い)に向かって光が進んできます。

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強い重力下では空間が歪んでいますから、光は下図のように曲がります。

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では、この曲がった部分に注目して見てみましょう。

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光の速さは常に一定(秒速30万km)でした。そしてスタートからゴールに届くタイミングも同じです。速度が同じなのに、距離が違う。それはつまり、かかっている時間が異なるということです。

たとえば内側の光が100km進む間に、外側の光は120km進む。それは内側の時間は遅く、外側の時間は早く流れる、ということを意味します。

そして内側は天体に近いため、重力が強い側ですから、上記を言い換えると、重力が強い方が、時間は遅く流れるということになります。

 ならば地球の中心に近い海の底と、中心から遠いエベレストの頂上で時間の1秒の長さが違うのか? そうです。違います。

 

相対性理論が示したのは、今まで確かな指針だと思っていた概念が、実は相対的だということでした。つまり、世界一正確な時計が1秒を刻んだとしても、それを見ている場所によって、その時間は異なるのです。

つまり、世界の理とは、観測してはじめて意味を持つということ。観測とは「意思を持って、見る」こと。すなわち意志が世界を作っているというのも、決して極論ではないのです。

 

次回は引き続き宇宙の話について。

[外堀から埋める09]特殊相対性理論の結論

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もっともシンプルで、もっとも美しい理論

このように、特殊相対性理論は光速に近づくにつれて「時間が遅くなり」「物体は重くなり」「長さは縮む」という事実を提示しました。

そしてその結論として、あの、もっとも美しいといわれる公式を導き出しのです。その公式とは

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こちらです。

Eは「エネルギー」、mは「質量」、cは「光の速度」を意味します。光の速度は不変(秒速30万km)でしたらから、その二乗である部分は「定数」です。ということはつまり、「m(質量)」が増えれば「E(エネルギー)」が増えるという相関関係にあることがわかります。

エネルギーと質量、どちらも聞いたことのある言葉ですよね。そして科学の世界で「=」の存在は絶対です。「=」とは、つまり同じであること。「c^2」が定数であることから、誤解をおそれずに言うなら「質量はエネルギーである」ということになります。これはいったいどういうことなのでしょうか?

 質量とはエネルギーである

この論が革新的であった理由。それは前述のように「エネルギー」と「質量」は従来まったく別物だと考えられていたからです。たとえば工業用の鉄球のように、重い物が運動により強いエネルギーにつながるというのではありません。物体は、ただ存在しているだけでエネルギーたり得るのです。静止していても、エネルギーです。

これにより私たちが学校で習う「質量保存の法則」は成り立たなくなります。質量はエネルギーに変換され、その総量を変えるのですから。

ならばもう一方の「エネルギー保存の法則」も成り立たないのか? しかし科学はひとつの考えを提示することで、この崩壊を免れます。それは「質量はエネルギーの1形態である」という考えです。

上記のことから、科学的観点から見ると「質量はエネルギーである」ということがわかりました。質量とは、物体の持つ物質の量のこと。もちろん有機物である私たち人間も、質量を持っていますね。つまり私たちの存在は、エネルギーであると言い換えることができるのです。

なお、この理論がやがて原子爆弾の開発につながり、その正しさを証明してしまったわけですが、アインシュタイン原子爆弾開発に携わっていたわけではありません。彼は核兵器反対の立場を貫き、後には「ラッセル=アインシュタイン宣言」にて核兵器廃絶を目指しました。

量子論」と「特殊相対性理論

さて、だいぶ戻りますが「量子論」の話。

物質を構成する「原子」をさらにクローズアップしてみると、原子核のまわりを電子が公転しているのでした。

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このつたない図ではわかりにくいのですが、この図の通りだとすると、空間の方が多いということになりますよね。大きさは原子によって異なるため一概にはいえませんが、たとえば水素の場合、原子核が1cmだとすると電子は半径1kmの距離を回っていることになります。原子核が人間サイズの1.5mなら、電子の回転半径は150kmですね。

さあ、ここで疑問です。物質を構成する原子が、こんなにもスカスカなら、物質もスカスカになってしまうのではないでしょうか? もちろん私たち人間も原子で構成されています。このままでは体がスカスカです。

そうならないのは、電子が非常に高速で動いているからです。たとえば自転車の車輪を考えてみましょう。止まっているときはスポークの間がスカスカで、物体は通り抜けます。しかし高速で回転すると表面はまるで板のようになり、物体も跳ね返しますね。

あるいは「魁!男塾」の伊達臣人が使う覇極流奥義・渦流回峰嵐という例も思いついたのですが、とてもわかりにくいので止めます。忘れてください。

 

《参考》

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出典:「男塾外伝 伊達臣人」第1巻 ひも解かれる知られざる物語!伊達臣人、激闘の軌跡!! : 3階の者だ!!

 

さて、そんなわけで、原子はスカスカであるにも関わらず、電子が高速で移動しているために明確な固体として存在しているわけです。

意識を向けてもわかりませんが、いま現在も私たちの体では無数の電子が猛烈に回転しているのです。指先に感覚があります。目で光を捉えます。鼓膜が音を拾います。すべてはこの回転(あるいは振動)のおかげです。

そしてこの回転もエネルギーです。

私たちの体が、いや存在そのものがエネルギーであるという理屈を、少し理解しやすくなるのではないでしょうか。

 

次回からは「一般相対性理論」のお話です。