[引き寄せの方法論01]確信について

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引き寄せの本質は「確信」

引き寄せの法則はあくまで法則です。「これだ!」と目に見える形でわかるものではありません。願いが現実になりつつある移行期には気づかず、後になって考えたときに「ああそういうことだったのか」と、はじめて腑に落ちることも多いでしょう。

そして、実現へのアプローチに関してもひとつではありません。「◯◯メソッド」のようなものが肌に合っている方もいるかもしれませんし、「常にハッピーな気分でいましょう!」というスタイルがお好みの方も、瞑想で効果を実感できる方もいることでしょう。

つまり、どこか曖昧さが付きまとうのが引き寄せの法則であり、この点が何故か躍起になって引き寄せを否定したがる反対派の論拠となっているようです。

しかしどのアプローチであろうとも、必須とされる考えがあります。それが「確信」です。確実に叶うと理解すること。ここが引き寄せの成功と失敗を分けるポイントでもあります。

突然「確信しろ」と言われても、なかなか難しいことでしょう。どんなに強く思い込もうとしても、どこかに「そんなわけあるかい」の気分が残っている。それは、現代社会に生きる人間として当然の反応です。大丈夫、問題ありません。疑惑を少しずつ切り崩し、「確信」を強化していくこと。それこそが本サイトのテーマなのですから。

少しだけ体験記

今まで書いてきませんでしたし、これからもあまり書くつもりはありませんが、ここで少しだけ自分のことを。

僕は引き寄せの実践の一環として2年ほど前に会社を辞めて自由業になっています。時間や人間関係などの面倒ごとから開放されていますが、さらに収入も大きく上がりました。心惹かれていたアフリカ旅行も経験し、このあたりから引き寄せの法則を実感として信頼できるようになりました。そして昨年、予想外の方向から23区の西の方に庭付き車庫付きの一軒家をもらいました。さらに昔からの夢だった犬を飼いました。

あまりに現実感のない話ですが、わずか3年ほどの間に人生が大きく変わったのです。そして先日、ふと思い立ってこのブログを書き始めました。

さらなる幸運を呼び寄せるための備忘録が半分、自分が驚嘆し感動した事実を少しでも伝えたいという思いが半分。僕は割と俗な人間なので「みんな幸せになって欲しい!」という善意100%では決してありません。しかし僕の経験が何かの役に立って、誰かの幸せに繋がるなら、それはやっぱり嬉しいと思うのです。

確信の元は体験だけ

このように、僕が「確信」に至った理由は、自分で体験したからです。そして皆さんに置かれても、体験のない確信は絶対にありえません。本を何冊読もうと、自身の体験に落とし込まない限り、それはあくまでも知識に過ぎないのです。

繰り返しになりますが、本サイトの最終的な目的は、皆さんの「確信」へのお手伝いをすることです(そして自分の確信をより深めること)。よって、他の本やサイトにあるメソッドや思考法を同時進行で進めることはまったく問題がありません。むしろ、そのメソッドなり思考法を加速するための、「備考」のような役割だと思ってください。

というわけで、いまさらですが本サイトの使い方はこちら。 

  • 自身に合う引き寄せのやり方と同時進行でOK
  • 気になるところ、腑に落ちないところだけを納得するまで読む
  • 自身の体験とするために、流し読みではなく心に落とし込むように読む
  • 今後ときどき登場する「~してください」は、リアルタイムで実践する
  • 確信できるような事実が生活に顕れはじめたらそちらに焦点を移す

とくに5番目。確信のためのお手伝いと前述したように、あくまで主役はあなたの体験です。これからあなたの人生に少しずつ「確信の種」となる事象が顕れます。それが増えはじめたら、もうこのサイトには来ないでください。「このサイトに来る」=「確信をしたい」=「確信してない」となり、むしろあなたの引き寄せを停滞させてしまうかもしれませんから。

 

というわけで今回も中途半端なところで終わってしまいました。

次回は「確信」の方法論について。

急がば回る引き寄せの法則

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外側と内側、2つの宇宙

半径465億光年。それが人間が観測可能な宇宙です。端に行くことはできません。しかし思いを馳せることはできます。宇宙の端はどんなところだろう? 外側はどうなっているのだろう? そこにあるのは無限の可能性です。 

次に視点を反対にして、心のなかを見てみます。半径465億光年の宇宙を思い描くことができるのですから、少なくともそれ以上のサイズがあるわけです。端には手が届きません。しかし思いを馳せることはできます。心の隅、記憶の奥、未来への希望。果てない思考に関しては、こちらも無限の可能性があります。 

宇宙と心。どちらが外側で、どちらが内側なのでしょう。どちらも無限の広がりを持ち、どちらも無限の可能性を持つ。しかし手は届かない。

宇宙の一要素である物質になら手が触れられる、と思うかもしれません。しかし触れていると判断するのは人間の脳です。なら触れているのは外側なのか、内側なのか。

体という膜、あるいは単なる知覚器官を通して、あなたが感じている宇宙。ぐるりと裏返してみても、外と内の区別なんてないのではないか。宇宙は心であり、心は宇宙である。

これがインド哲学ヴェーダーンタに見られる、宇宙と自己が本質的に同一であるとする思想です。量子力学を確立した天才物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは生涯この思想に傾倒し、晩年の著作『精神と物質』で次のように語っています。

 

「両者の矛盾は西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろう。精神は、まさにその特性からして単一のものなのであります。一切の精神は一つだと言うべきでしょう」

 

さあ、準備は整いました。

急がば回る引き寄せの法則。急いでんのにちょっと回りすぎじゃないか、という気もしつつ、ここまでご紹介した知識を元に、いよいよ引き寄せの法則について考えてみましょう。

[外堀から埋める16]外部に発信される脳波

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脳波の可視化に成功した現代科学

ユングが提唱した人類に共通する記憶や意志である「集合的無意識」。一部はカラーバス効果で説明ができますが、どうにもそれだけでは足りない部分がある。なぜこんな偶然が起きるのか。その謎が少しずつ解け始めています。

1999年、岡山理科大学から「脳波の可視化」の研究報告がなされました。これは頭に貼り付けた電極で脳波を読み取り、感情の変化をサーチ。平衡状態のモデル表情に感情に合わせた変化をつけるというもの。外部から、被験者の感情が視覚的を読み取るという研究です。

2008年12月11日の科学雑誌「ニューロン」には、脳からの信号をそのまま映像化する技術の論文が掲載されました。国際電気通信基礎技術研究所(ATR)による研究で、端的にいえば「頭で思い浮かべた映像が、モニターに出力される」というもの。この実験の成功により、寝ているときの夢の映像化も現実味を帯びてきました。

さらに大切な点は、どちらの実験も開頭して脳に電極を刺したわけではなく、外部に電極を貼り付けただけであること。つまり脳から頭蓋骨を越えて外部へ、詳細な情報が伝達されているのです。

非接触の脳波測定が意味すること

非接触で脳波の詳細情報を読み取れることはつまり、たとえ微弱であろうとも、私たちの意識が外部に発信されていることを意味します。もちろん、従来から脳波の状態測定は可能でした。

しかし、それが単なる波長の読み取りではなく、意味のある思考の読み取りとなると話は別です。これはユングの提唱した集合的無意識の伝達手段、あるいはシンクロニシティの伝達媒体の候補となり得るのですから。

そして思い出して頂きたいことがもうひとつ。

宇宙には、138億年前のビッグバンで生まれた光(後に波長が伸びて電波)が、まるでメッセージのように漂い、いまも常に地球に降り注いでいるのでした。それはつまり電磁波は空間、時間を越えて伝わるという証明。

私たちの脳(あるいは心)から発信された電磁波が時間と空間を越えて、誰かに伝わる。どこかに蓄積される。そんなこともまた、不可能な話ではないのです。

テレビが映る理由と、感情が移る理由

テレビの電源をつけると、画面に映像が映ります。なぜでしょうか? 

それは電波を受信しているから。

では電波を受信とはどういうことでしょう?

そこには「共振現象」という作用があります。

水面の端で波を立てると、その波は(重力の影響がない場合)同じ高さで水面に広がります。止まった水が、動く水の波に合わせて同じように動くのです。音叉の実験も有名ですね。AとBの2つの音叉を立て、Aを鳴らすと振動が空気を伝わってBも鳴り始める現象です。ブランコの揺れから共振回路の原理まで、日常には共振が利用される場面は多々あります。電波塔から発信された映像が乗った電波を受け、アンテナのなかの波が同じ振動数になるから、テレビは映像を映すのです。

では、いつも明るくニコニコしている人と会うと、明るい気分になるのはどうでしょう?

それはまた別の話だ、と思う人も多いでしょう。なぜ別物なのですか?

テレビが映るのは電波が共振しているから。では感情が移るがそれと違う原理だとなぜ思うのでしょう?

脳からは常に感情や思考の電波が発信されています。脳神経が電気信号であるならば、脳は受信する装置でもあります。異なる波長の波を受けると、脳波は共振を起こします。つまり明るい人と会って明るい気分になるのも、沈んだ人と一緒に居て浮かない気持ちになるのも、感情が共振しているからなのです。

外からの刺激で、人間の内面が変化する。

内面からの信号で、外部世界が変化する。

これは科学的になんの齟齬もない事実のようです。

 

さあ、次回からはいよいよ引き寄せの法則の話です。

[外堀から埋める15]シンクロニシティとカラーバス効果

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シェルドレイクの仮説

たとえばペットと飼い主の話。

不規則な仕事に従事する飼い主が会社で帰り支度を始めると、離れた家にいるペットがそわそわし始める。

これはケンブリッジ大学の生物学者ルパート・シェルドレイクが唱えた仮説を元に、日本のテレビ番組が実験を行い実証した事実です。

あるいは騙し絵の実験も有名ですね。

一見すると何が描かれているかわからない騙し絵AとBを用意し、まず道行く人に訪ねます。ほとんどの人が、どちらの絵も何が描かれているか答えられません。次に最初の1枚である「騙し絵A」の解答をテレビで公開し、もう1枚の「騙し絵B」の解答は秘密のままにします。

このテレビの放映後、再び道行く人にテストをしてみます。すると当然「騙し絵A」の正解率が上がり、「騙し絵B」の正解率は変わりません。それはそうだ。直接テレビで見たか、視聴した知り合いとの話題にでも上ったのだろう。

それは違います。

「騙し絵A」の正解率は、このテレビ番組がまったく放映されない遠隔地や僻地においても、同様に上昇したのです。

(参考:『世界を変える七つの実験』ルパート・シェルドレイク著)

 

通常、世界の現象のすべてには、原因→結果という流れがあります。

太陽光により海水が温められて蒸発し、密度の減少にともない上昇、気圧の低い上空で冷やされて水の分子が結合し、質量を増して雨として地上に落下する。物理学で説明できる原因と結果であることから、これを「因果性」と呼びます。

一方で、上記のように離れた場所のペットが主人の帰宅を察知すること、第三者の得た知識が離れた場所に伝播することなど、一見して現代物理学で原因が特定できず、結果だけが表れる現象をシンクロニシティ共時性/同時性)と呼びます。

ちなみに訳語が2種類あるのは、リンカーン大統領とケネディ大統領の暗殺における不思議な符合のように、距離だけでなく時間を越える偶然の一致もあるため。子どもの頃に北海道で拾って何故か大切に持っていた石の欠片の断面が、新婚旅行で訪れた沖縄で拾った石の断面とぴったりくっついた、なんて話もありますね。

たとえば、あなたがパソコンで文書を打っていて、ENTERキーを押した瞬間に、遠く離れた国で地震が起きました。これはおそらくただの偶然です。

しかし、同じ状況でENTERキーを押した瞬間に停電が起きたとしたらどうでしょう? あなたは自分の行動と起きた現象(停電)の因果関係を考えることでしょう。

因果の特定は困難であるけれど、対象者に何かしらの意味を考えさせる偶然。これがシンクロニシティです。

身近なシンクロニシティ

シンクロニシティは、なにも先の例のような大それたものだけではありません。

ふと街中でスパイス香りを感じてカレーが食べたいなと思っていたら、帰宅後の夕飯の食卓にカレーが並んだ。友達に連絡を取ろうとスマホを取り出したら、ちょうどその友達から連絡が来た。ふと時計を見ると、なぜか自分の誕生日の数字であることが多い。これらもシンクロニシティの例です。

原因はなく、ただ結果だけがやってくる。表面的にはそう見える現象。しかし、私たちが常識の拠り所とする物理学は、因果性の学問です。理由のない結果はない。結果があるなら、何かしらの理由がある。

ユングはその理由を、人間の意識同士が無意識下で交流しているからとしました。そしてその説は、たしかに身近にあるシンクロニシティの理由を、矛盾なく説明することができています。

しかし、無意識下で交流するネットワークは? 交流の媒体は? そのための器官は? これは本当に科学なのか。あるいはオカルトなのか。その結論は長い間見つかりませんでした。

カラーバス効果

特定できない因果の説明としてカラーバス効果が用いられることがあります。色(カラー)を浴びる(バス)でカラーバス。よく間違われていますがカラーパスではありません。念のため。

これは意識を向けた情報がより多く舞い込んでくるという心理学的効果のこと。

たとえば今すぐに、まわりをぐるりと見渡してみてください。

はい!

 

さて、今見た景色のなかに、緑色ってありましたか? ではもう一度、緑色を意識して見回してみてください。

どうでしょうか? 思っていたよりも多く、身の回りには緑色があるのではないでしょうか? 

これがカラーバス効果です。DoCoMoからソフトバンクに変えたら、毎日使っている駅前にソフトバンクショップがあったことに気づいた。携帯電話が壊れてはじめて、家の目の前に公衆電話があることに気づいた。これらもカラーバス効果ですね。

ビジネスシーンにおいても非常に有用な考え方である上に、引き寄せの法則とも親和性の高いカラーバス効果。いずれまた詳しくお話しようと思いますが、今回はシンクロニシティとの関連性について。

たとえば先の「時計を見ると自分の誕生日の数字であることが多い」というのは、カラーバス効果で十分に説明ができそうです。他のときに時計を見ても、時間だけを見てとくに意識はしない。それが自分の誕生日という意味のある数字のときには「お! 誕生日やんけ!」となって意識に刻まれる。だからその確率が実際よりも高く感じられるというわけです。

でも、本当にそれだけでしょうか? 特別な数字を目にすること、意外と多いですよね。それが意識に刻まれるだけで、ここまで差が生まれるものなのか。さらにカラーバス効果だけではどうにも説明のつかない意識の伝播はどうなのか。

次回、それらの答えを探します。いよいよ外堀も埋まってきました。

 

 

[外堀から埋める14]ユングの提唱した人類共通の記憶

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人間の記憶はどこにある?

代謝という言葉があります。人間の細胞は日々生まれ変わっていて、その数は1日に約1兆個。これにより肌は約1ヶ月、内臓は約1年、骨は約2年半で、まったく新しい細胞と入れ替わるのです。つまり2年半ぶりに再会した人は、体を構成する細胞に関しては、まったくの別人であるといえるわけです。

しかし何年ぶりに会おうと、知人は知人。別人ではありませんね。それはなぜでしょう? 以前会ったときと、個体としてはまったく別物であっても、同一人物として認識する理由。それは、記憶と意識が同じであるからです。つまり人間の本質は、記憶と意識であるとも言えるでしょう。

ではその記憶と意識は、どこにあるのでしょうか?

そんなの聞くまでもない。当然「脳」である。それが皆さんの答えでしょう。しかし、おかしいですね。先の代謝の話ですと、脳は1ヶ月に約40%、1年ですべての細胞が入れ替わるといわれています。脳細胞が入れ替わっているのに、そこに保存されている記憶は変わらない。たとえば「脳のこの部分に記憶を置いておく」という命令があるとしましょう。しかし、その命令を実行する部分もまた、代謝により更新されているのです。なぜ、再生を経ても記憶は変わらないのか。それは未だ解明されない脳の不思議です。

すべての人類が持つ共通の記憶

少し話が逸れますが、言語の話をしてみましょう。

たとえば、海。

英語で海は「sea」、女性を表す「she」とよく似た発音です。フランス語では海である「mer」と母を表す「mère」も同様であり、さらに川が海に注ぐことは性行為の隠喩だったりもします。性差のある言語では、海はほとんどが女性名詞ですね。そして中国語や日本語の「海」も字の中に「母」を含みます。「うみ」が「産み」に由来するという論もあるようです。

このように、多くの言語で「海」を母なるものとして扱っています。

19世紀ダーウィンが進化論を唱えました。それによると、人類は海のなかの単細胞生物から進化した姿です。文字通り、海が母として育んだ生命です。

しかし、最古といわれる中国語は紀元前15世紀以前の誕生、その他の言語も、古から使われています。これらの言語創成期に、このような論はありません。神話の世界の神が、一夜にして生み出したのが人類であるという理解だったことでしょう。

ではなぜ、古代の人々は、一様に海に母性を見出したのでしょうか? その時代に文化の交流はおろか、他に文明があることさえも知られていなかったにも関わらず。

海の話ばかりではありません。多くの文明で神話に共通点が見られること。あるいは生まれてはじめて見る蛇を、多くの人が本能的に嫌悪すること。教えられるのではなく、元から知っている。そんな記憶が人類にはあるようです。

記憶はクラウドに保存されている? 

分析心理学者の祖であるカール・ユングは、この人類共通の記憶を「集合的無意識」と名付けました。人類は個々の持つ記憶とは別に、種として全体の記憶を保存しているのではないか。つまり、PCに例えるなら、記憶はローカルだけでなくクラウドにも保存されているということになるのです。

だから誰に教えられることもなく、海に故郷を感じ、蛇に嫌悪感を持つのです。これらはDNAに記されている種の本能とは別物です。蜘蛛が巣を作る。鳥が卵を温める。鮭が川を遡上する。これらがDNAに記された命令であるというのは、理解できます。

しかしさらに細かな情報を、あるいはある種の物語を記すには、DNAの塩基配列では容量が少なすぎるのです。

ユングはそれを集合的無意識と呼びました。しかしその保存場所までは特定できていません。代謝を繰り返し、日々生まれ変わる細胞のどこにも、長期的に記憶を保存する場所などないのですから。

それは、未だ解明されていない心の奥底かもしれませんし、宇宙のどこかにあるデータベースかもしれません。しかしそれがどこであろうと、集合的無意識なしに文明や個人の思考を説明することができない。それは集合的無意識の存在証明に成りうるのではないでしょうか。

そしてこの集合的無意識が、続くシンクロニシティ共時性)の解明につながります。

次回は、そんな共時性の話です。

[外堀から埋める13]物理学が予想した宇宙の起源

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ビッグバン説の証拠

量子論」、「相対性理論」、そして「超弦理論」の進歩が、少しずつ宇宙の姿を私たちに教えてくれました。そして議論は宇宙の誕生にまで遡ります。

約138億年前、そこには何もなかった。

何もない空間があるのではなく、空間さえもなかった。そして空間がないから、時間さえも流れていなかった。完全なる無。想像することもできませんが。

ある時突然、その無のなかに特異点と呼ばれる無限の密度を持つ点が生まれた。無限の密度。そこはあらゆる秩序のない世界。未来と過去の区別さえない混沌の世界。

その特異点の誕生から1秒も経たないうちに、宇宙は爆発的に広がります。これがいわゆるビッグバンです。

遠方の銀河が遠ざかっているという観測的事実。そして光の性質と空間の歪みを明らかにした相対性理論。その両者を照らし合わせると、宇宙は現在も膨張を続けているという結果になります。

広がる行く先、つまり「宇宙の外側」には何があるのか。それはわかっていません。しかし宇宙が大爆発により誕生したというのは、確実とみなされています。それは証拠が見つかっているからです。

電磁波の波長

目に見える光と、携帯電話やTVの電波。これらは実は同じものです。さらに言えばレントゲン写真のX線、センサーなどにも使われる赤外線、お肌の大敵・紫外線、電子レンジのマイクロ波。これも皆おなじ。すべて電磁波という波の一種です。

では同じ電磁波なのになぜ性質が異なるかというと、それは波の波長が異なるから。凪いだ日の穏やかな海と、台風に荒れる海の波の違いのようなものです。

たとえば、こんな感じ↓

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そして、波長(波のギザギザの緩やかさ)が異なることで性質が変わるということは、つまり、電磁を無理やり引き伸ばすことができれば、性質を変えることができるということになります。

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しかし「現象」である「波」を引っ張るというのは不可能な気がします。そもそも触れることができないのですから。現実的に「電磁波を引っ張る」のは、電磁波が存在する空間そのものを拡大するくらいしかなさそうです。しかしそんなことは、できるはずもありません。普通なら。

そこでビッグバンです。

電磁波が引き伸ばされていることがわかれば、それは逆説的に「宇宙が膨張している」ことの証拠になるのです。

偶然キャッチした宇宙誕生の証拠

1964年。電話の発明で知られるグラハム・ベルが設立したベル研究所の研究者であるペンジアスとウィルソンの二人が、アンテナの雑音を減らす研究をしていました。

ペン「雑音が入ってくるな」

ウィル「なら、こっちの方向に向けたらどうだろう?」

ペン「ダメだ。まだ雑音が入る」

ウィル「なら、こっちは?」

ペン「ダメだ。雑音だ」

ウィル「もういっそ、こっち向けちゃう?」

ペン「いやいや、それはさすがに……あダメだ。また雑音だ」

ウィル「雑音パネー! あ、こっちは?」

ペン「ダメ。また雑音……ってあれ?」

ウィル「どうしたの?」

ペン「どの方向からの雑音も、周波数おなじっぽい」

ウィル「あじで?」

ペン「あじで」

という感じで、別の研究中に偶然にも、宇宙のどの方向からも同じ周波数の電波が届くことを発見したのです。

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ビッグバンは巨大な爆発です。当然、光を発します。そして宇宙空間が広がるにつれて、その光(可視光線)の波長はどんどん伸ばされます。その後、宇宙のなかに地球が生まれます。だから原初のビッグバンで可視光線だった、今は伸ばされてしまった電波が全方向から地球に降り注ぐのです。

偶然キャッチされた、宇宙からの電波=宇宙背景放射。これは宇宙がビッグバンにより誕生した証拠だとされています。

 

そして宇宙から絶えず電波が降り注いでいること。

それが意味することが、少しずつ明らかになり始めています。

 

次回からは少し角度を変えて、哲学・心理学的な話になります。

 

 

[外堀から埋める12]ざっくりと超ひも理論

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科学者は常識にとらわれない

さて、前回の話のように、近代科学の両輪とされる「量子論」と「相対性理論」ですが、一部においては両者に矛盾が見られました。どちらかが間違っているのか、それとも足りない部分があるのか。そのような視点で、新たな理論が模索されます。

トライ&エラーで間違った部分を調整しながら進化するのは、科学の歴史そのものです。そして科学の世界では「常識的にありえない」という考えはありません。その常識を作っているのが、彼ら科学者なのですから。

考えてみてください。

2世紀にクラウディオス・プトレマイオスにより提唱された「天動説」は、16世紀のコペルニクスガリレオ・ガリレイの時代まで常識でした。1400年間常識だと思われていたこと。生まれてから死ぬまで天動説が常識であった人が、30世代近くもあったわけです。体感的にも天動説の方が信じやすいでしょう。何しろ、現在立っているこの地面は、動いてなんていないのですから。きっと生涯を天動説の研究にだけ費やした科学者もいることでしょう。

それが突然、「実は動いているのは地球でした!」となりました。果たして私たちがその場にいて、素直に受け入れられたでしょうか。

それができるのが、科学者という人たちなのです。自分の感覚や世間一般の常識、過去の事例や大勢の意見ではなく、ただ観測結果から結論を導く。一見してありえなそうなことでも、実験結果や数式が表す現状を解釈すると、そういう理論となることが否定できない、となればそれは大真面目に議論する。

科学者はリアリストの最前線に立つあまり、一周まわってロマンチストなのかもしれませんね。

だから「宇宙ホログラム説」や「シミュレーション仮説」だって、否定材料がないかぎり立派な学説なのです。

ひも理論の誕生

さて、話が逸れてしまいましたが、科学者は考えます。非常に完成された理論である「量子論」と「相対性理論」が矛盾する。ならば、どこをいじればその矛盾を解消できるのか。

そしてひとつの仮説が持ち上がります。

それはいままで「点」だと考えられていた(観測下の)量子が、「線」なのではないか。0次元の点でなく、1次元の線ならば、いくつかの矛盾は解消できるのではないか。

そうして生まれたのが「ひも理論」です。

この理論によると、小さすぎて点に見えていた量子をドアップにしてみると、実は線(=ひも)である。そしてその線が振動しているから、それぞれの振動に合わせて状態が確定する、ということになります。

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そしてその線が振動することで、性質を確定するのですが、この際の動き方の共通性から線は、「ただの髪の毛のように一本のひも(開いたひも)」と「輪ゴムのように閉じたひも」の2種類があるとの仮説が立てられました。

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なんとも唐突な理論ですが、これに当てはめてみると従来の矛盾が次々と解消していったのです。

ひも理論を越える「超ひも理論

このように画期的な「ひも理論」ですが、やがていくつかの疑問も湧き上がります。それは「ひもの振動だけでこの世のすべてが表現できない」ということでした。

どうやら量子はひもでできていて、それが振動しているのは確かなようだ。しかし、この3次元世界の縦横上下の方向だけで、この世のすべての物質まで差別化できない

そこで科学者は、常識に囚われずに考えます。縦横上下だけでなく、ほかの方向にも振動しているのではないか。その方向が、私たちに知覚できていないだけではないか。

こうして量子論のときにも登場した多次元の概念が戻ってきました。

参考:[外堀から埋める04]次元論と感覚について - 急がば回る引き寄せの法則

振動はしているけど、その方向が見えないだけ。だから、仮定した別次元方向への振動を計算に入れれば、この世のすべての物質になりうる。そうして導き出されたこの宇宙は「10次元空間+1次元時間」の11次元となります。

さらなる謎を解明する超ひも理論の発展

素粒子を扱う科学にはもうひとつ大きな謎がありました。それは「力の強さ」の問題。素粒子の世界には「電磁気力」「素粒子同士をくっつける力」「重力」という3つの力があるのですが、ほかの2つに比べて「重力」の弱さが計算と合いません。

理論はわかっているのに、計算結果だけが合わない。まるで、どこか別のところに力が逃げているかのように。

そこで、この世界は3次元の膜に覆われているという「ブレーン理論」が生まれます。

3次元の膜というのも想像が難しいですね。東京ドームのように2次元(=平面)の布が3次元空間を覆っているのではありません。膜自体が3次元で、それがさらに高次元の世界を覆っているのです。

そして先程の「髪の毛」の方の「開いたひも」は、その膜にくっついているため3次元内しか認識できず、行動もできない。「輪ゴム」の方の「閉じたひも」は、くっついていないから、高次元へ行けるというのです。

この「輪ゴム型閉じたひも」が重力(の元である重力子)であり、それ以外は全部「髪の毛型開いたひも」である。だから重力だけが高次元の影響を受けるのである。

わかりやすく1つ次元を落としたモデル↓

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つまり重力が弱いのは、他の次元に力が分散しているから。つまりこの理論に則る限り、逆説的に多次元の存在は確定しているのです。

非常に難しいところですので、あまり突き詰めて理解しなくても良いと思います。僕も理解してません。ただ、量子はひもの振動である、重力が弱いのは多次元へ分散しているから、理論上の世界の構成は11次元というあたりを覚えておくと良いのではないかとも思います。

次回からは物理学が予想した宇宙の始まりについて。少しずつ核心に迫ります(予定)。