[外堀から埋める11]量子論と相対性理論の矛盾

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未完成の最先端科学

このように、量子論相対性理論は先端科学の両輪として人類の宇宙への理解を躍進させました。もちろん、現在においてもこの2つの論は、物理学の中心にあります。しかし、どちらも一定の完成を見た両論ですが、矛盾がないわけではありません。

 

たとえば1粒の小さな量子を、半分にちぎってみましょう。すると双子の量子兄弟ができます。

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量子は地球の自転のように回転しているのですが、この双子には不思議な性質があり、兄が右に回転するなら弟は左、兄が左なら弟は右、というように、常に反対回りに回転するのです。これは観測された事実です。

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さて、ここで思い出して欲しいのが量子の不確定性の話。人が観測するまで量子は「可能性の波」というあやふやな状態なのでした。回転に関しても同様に、観測するまでどちら回りなのか決まっていません。ここで重要なのは、見るまでどちら回りなのかわからないのではなく、まったく決まっていない、ということです。

 

情報が時空を飛び越える

「双子は常に反対回り」、そして「観測するまで決まっていない」という2つの事実。これを合わせて考えてみます。密閉された箱に入れた双子。兄を観測したら「右回り」でした。するとその瞬間、弟は観測せずとも「左回り」であることが確定します。

 

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ならば兄弟それぞれが密閉された2つの箱を、宇宙の端と端に持っていってみるとどうでしょう。そこで兄を観測したら「右回り」だった。すると遠く離れた宇宙の端にある弟は、タイムラグなしに、瞬間的に「左回り」が確定します。つまり、距離を越えて情報が伝わっているのです。

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相対性理論によると、光速を越える速度はないはずです。途方もない距離を、瞬間的に情報が伝わる。これはどういうわけでしょう。この現象を量子もつれと呼びます。

 

状態を遠くに送るテレポーテーション

さらに発展させて考えてみましょう。

先程と同じように量子を2つに引き裂きます。さらに今度はもう1つの量子も2つに割きます。そして量子①の片割れである「B」を、量子②の片割れである「C」とくっつけてしまいましょう。

 

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もう1度、離れた場所で観測してみます。量子Aの箱を開けてみると、「右回り」でした。つまり量子Bは「左回り」で確定です。そして量子Bとくっついている量子Cも、合わせて「左回り」に回転していまいました。すると、量子Cの片割れである量子Dは「右回り」、量子Aと同じ状態となります。

 

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つまり、量子Aの状態を、離れた場所の量子Dにコピーしてしまったのです。これが量子テレポーテーションです。

 

テレポーテーションなんていうとSFの世界の話のようですが、これはすでに実験が成功しています。つまり、離れた場所に情報が伝わることを否定していたアインシュタインは、この部分においては、誤っていたのです。天才にも誤りはあるのですね。

 

次回は量子論相対性理論を統一する新たな理論について。

[外堀から埋める10]一般相対性理論が示す空間の歪み

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特殊相対性理論一般相対性理論

前回までの特殊相対性理論は、名前の通り「特殊な状況下でのみ」認められる論理でした。その状況とは、等速直線運動。電車の例のように、あるいは算数の問題のように、一定の速度でまっすぐに進む物体にのみ適用されるということです。

そんな特殊相対性理論の発表から10年後、アインシュタインは満を持して一般相対性理論を発表しました。「一般相対性原理」つまり、動いている人にも止まっている人にも、宇宙の天体にも、海の底にも、あらゆる一般対象に共通する原理というわけです。

そしてこの理論は「時間が遅れる」「重くなる」「縮む」という特殊相対性理論に加え、さらなる未知の世界を提示してくれました。

一般相対性理論が示す重力の不思議 

一般相対性理論がまず説明してみせたのは、重力/引力の問題です。重い物体には強い重力が働くというのは、ご存知「万有引力の法則」です。万有ということは、軽い物体にも引力はあるということ。地球にも、月にも、そして私たち人間にも、引力はあります。私たちは地球にただ引きつけられているのではなく、地球とお互いに引きつけ合っているのです。

ではなぜ、重い物体に強い引力があるのか。一般相対性理論はそれを、空間の歪みで説明します。

想像してください。ここにトランポリンと2つの玉があります。

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では、まずトランポリンに軽い玉を置いてみます。

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急に横からの図になったのはパワーポイント力の限界のためです。察してください。とにかく軽い玉を置いてみると、

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わずかですがトランポリンがたわみます。まわりはこの軽い玉に引きつけられます。

次に、この同じトランポリンに重い球を置いてみます。

 

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すると、

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表面は大きくたわみ、軽い玉は重い球に向けて転がりました。これが重力です。しかし世界は2次元のトランポリンではありませんし、私たちの目に映る世界も歪んではいません。

では、どの方向に歪んでいるのか。そこで登場するのが次元の話です。

以前、上の次元の存在は知覚できないという話をしました。知覚はできません。どの方向に歪んでいるのかはわかりません。しかし確かに空間は歪んでいるのです。

なぜそう言い切れるのか。それは観測されたからです。

実際に観測された空間の歪み

ある皆既日食の日、星を観測することで空間の歪みを実証しようという試みが行われました。太陽は巨大な質量を持ちますから、一般相対性理論が正しければその周辺の空間は歪んでいるはずだ、と。皆既日食の日が選ばれたのは、単に太陽がまぶしくてそれ以外の日だと星が見えないからです。

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結果、星は本来ある場所から離れた場所に観測されました。見事に理論通り。星の位置は、実際の場所よりも太陽から遠く観測されたのです。これは星の発する光が太陽の側を通るとき、時空の歪みにより曲がってしまったため。場所も予測した通りでした。

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光が太陽の重力で引きつけられたのでは? という疑問もあるかもしれませんが、思い出してください。光の粒である光子に、質量はありません。そのため(従来の)引力の影響は受けないはず。つまり重量に引かれるのではなく、空間そのものが歪んでいるというわけです。

空間の歪みと時間の関係

では、空間が歪むとどうなるのでしょうか。歪んでいるわけですから、いろいろと影響も出てきますが、一番はやはり時間の流れでしょう。

たとえば重い天体(=重力が強い)に向かって光が進んできます。

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強い重力下では空間が歪んでいますから、光は下図のように曲がります。

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では、この曲がった部分に注目して見てみましょう。

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光の速さは常に一定(秒速30万km)でした。そしてスタートからゴールに届くタイミングも同じです。速度が同じなのに、距離が違う。それはつまり、かかっている時間が異なるということです。

たとえば内側の光が100km進む間に、外側の光は120km進む。それは内側の時間は遅く、外側の時間は早く流れる、ということを意味します。

そして内側は天体に近いため、重力が強い側ですから、上記を言い換えると、重力が強い方が、時間は遅く流れるということになります。

 ならば地球の中心に近い海の底と、中心から遠いエベレストの頂上で時間の1秒の長さが違うのか? そうです。違います。

 

相対性理論が示したのは、今まで確かな指針だと思っていた概念が、実は相対的だということでした。つまり、世界一正確な時計が1秒を刻んだとしても、それを見ている場所によって、その時間は異なるのです。

つまり、世界の理とは、観測してはじめて意味を持つということ。観測とは「意思を持って、見る」こと。すなわち意志が世界を作っているというのも、決して極論ではないのです。

 

次回は引き続き宇宙の話について。

[外堀から埋める09]特殊相対性理論の結論

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もっともシンプルで、もっとも美しい理論

このように、特殊相対性理論は光速に近づくにつれて「時間が遅くなり」「物体は重くなり」「長さは縮む」という事実を提示しました。

そしてその結論として、あの、もっとも美しいといわれる公式を導き出しのです。その公式とは

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こちらです。

Eは「エネルギー」、mは「質量」、cは「光の速度」を意味します。光の速度は不変(秒速30万km)でしたらから、その二乗である部分は「定数」です。ということはつまり、「m(質量)」が増えれば「E(エネルギー)」が増えるという相関関係にあることがわかります。

エネルギーと質量、どちらも聞いたことのある言葉ですよね。そして科学の世界で「=」の存在は絶対です。「=」とは、つまり同じであること。「c^2」が定数であることから、誤解をおそれずに言うなら「質量はエネルギーである」ということになります。これはいったいどういうことなのでしょうか?

 質量とはエネルギーである

この論が革新的であった理由。それは前述のように「エネルギー」と「質量」は従来まったく別物だと考えられていたからです。たとえば工業用の鉄球のように、重い物が運動により強いエネルギーにつながるというのではありません。物体は、ただ存在しているだけでエネルギーたり得るのです。静止していても、エネルギーです。

これにより私たちが学校で習う「質量保存の法則」は成り立たなくなります。質量はエネルギーに変換され、その総量を変えるのですから。

ならばもう一方の「エネルギー保存の法則」も成り立たないのか? しかし科学はひとつの考えを提示することで、この崩壊を免れます。それは「質量はエネルギーの1形態である」という考えです。

上記のことから、科学的観点から見ると「質量はエネルギーである」ということがわかりました。質量とは、物体の持つ物質の量のこと。もちろん有機物である私たち人間も、質量を持っていますね。つまり私たちの存在は、エネルギーであると言い換えることができるのです。

なお、この理論がやがて原子爆弾の開発につながり、その正しさを証明してしまったわけですが、アインシュタイン原子爆弾開発に携わっていたわけではありません。彼は核兵器反対の立場を貫き、後には「ラッセル=アインシュタイン宣言」にて核兵器廃絶を目指しました。

量子論」と「特殊相対性理論

さて、だいぶ戻りますが「量子論」の話。

物質を構成する「原子」をさらにクローズアップしてみると、原子核のまわりを電子が公転しているのでした。

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このつたない図ではわかりにくいのですが、この図の通りだとすると、空間の方が多いということになりますよね。大きさは原子によって異なるため一概にはいえませんが、たとえば水素の場合、原子核が1cmだとすると電子は半径1kmの距離を回っていることになります。原子核が人間サイズの1.5mなら、電子の回転半径は150kmですね。

さあ、ここで疑問です。物質を構成する原子が、こんなにもスカスカなら、物質もスカスカになってしまうのではないでしょうか? もちろん私たち人間も原子で構成されています。このままでは体がスカスカです。

そうならないのは、電子が非常に高速で動いているからです。たとえば自転車の車輪を考えてみましょう。止まっているときはスポークの間がスカスカで、物体は通り抜けます。しかし高速で回転すると表面はまるで板のようになり、物体も跳ね返しますね。

あるいは「魁!男塾」の伊達臣人が使う覇極流奥義・渦流回峰嵐という例も思いついたのですが、とてもわかりにくいので止めます。忘れてください。

 

《参考》

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出典:「男塾外伝 伊達臣人」第1巻 ひも解かれる知られざる物語!伊達臣人、激闘の軌跡!! : 3階の者だ!!

 

さて、そんなわけで、原子はスカスカであるにも関わらず、電子が高速で移動しているために明確な固体として存在しているわけです。

意識を向けてもわかりませんが、いま現在も私たちの体では無数の電子が猛烈に回転しているのです。指先に感覚があります。目で光を捉えます。鼓膜が音を拾います。すべてはこの回転(あるいは振動)のおかげです。

そしてこの回転もエネルギーです。

私たちの体が、いや存在そのものがエネルギーであるという理屈を、少し理解しやすくなるのではないでしょうか。

 

次回からは「一般相対性理論」のお話です。

 

[外堀から埋める08]特殊相対性理論が証明する曖昧な世界

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高速で動くと、時間はゆっくり流れる

前回は、特殊相対性理論の前提についてお話しました。

まず定義されるのが、光が1秒間に30万km進むのではなく、光が30万km進む時間を1秒とすること。その帰結として、高速で動く物体の内部では時間の流れが遅くなるという不思議現象が起きてしまうのです。

 

↓高速で動く部屋の内部で観察

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↑光が天井の鏡に到達し戻ってくるまで30万km=1秒

 

↓高速で動く部屋を外部から観察

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↑光は移動する鏡を追いかけて斜めに進むため、移動距離は長くなる。天井に反射して戻ってくるまで45万km=1.5秒

速度は光の速さを越えることはできない

さて、この論を突き詰めていくと、ひとつの疑問にぶつかります。すなわち「部屋が光と同じ速度で動けば、光は永遠に天井の鏡に到達しない=時間が流れない」ということになってしまうのではないか。

この疑問には、特殊相対性理論の第2の定義が答えてくれます。それは「物体の運動は光速に達することはできない」という原理です。

 

宇宙空間は無重力かつ空気抵抗がありません。小さな推力でも、少しずつ加速していけば、スピードは際限なく上がっていくと考えられそうです。

たとえば2015年にNASAが発表した新航法「EMdrive」。これは密閉された空間内でマイクロウェーブを反射させ続けることで推進力を得るというもの。ジェット燃料を必要としないため、どこまでも速度は上がりそうです。

 

しかし、光の速度に達することはできません。なぜなら速度が上がると物体の重量は徐々に重くなり、光速だと重量は無限大になってしまうからです。ピンポン玉よりボーリングの玉の方が動かしにくいのと同様に、重い物ほど動かすためにエネルギーが必要です。その重量が無限大ということは、動かすことができないということをになります。

ではなぜ光(を構成する光子)は光速なのか。それは光には質量がないからです。ならば光を構成するのは「粒」ではなく「波」なのか、という問題はかつて繰り返し議論され、現在では答えが出ております。光は「量子」です。つまり波でもあり、粒でもあるのです。このあたりから、「相対性理論」と「量子論」が密接に関わってきますね。

かなり複雑な話となるため、この話はいったん置いておきましょう。光速に近づくと物体は重くなるという点だけを覚えておいてください。

高速で動くと、長さが縮む!

さて、光速に近づくと時間が遅くなり、かつ重量が重くなるという理論は、すんなり納得といかないまでも、なんとなく理解できる話だと思います。しかし、特殊相対性理論には、もうひとつ、にわかには信じられない理論があります。それは、光速に近い速度で動く物体は縮むというものです。先程までの理論を思い出しつつ、次の状況について考えてみましょう。

 

秒速15万kmで走る電車が、長さ30万kmのトンネルに差し掛かりました。ところが乗車していたテロリストが、トンネルに入ると同時に爆弾を作動させました! 2秒以内に太陽光を受けないと爆発してしまう爆弾です。

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先述の話によると、外からこの電車を見ている人にとっては、電車のなかの時間の進みは相対的に遅くなっているのでした。つまり2秒経って電車がトンネルから出てきても、電車のなかでは1.8秒ほどしか経っていません。つまり爆弾は爆発しません。

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しかし、電車のなかの人にとってはどうでしょう?

電車のなかの人、そして爆弾にとっては時間の進みは普通通り。2秒はきっかり2秒です。そして電車は秒速15万km、トンネルは長さ30万km。2秒後には爆弾が爆発してしまいます。ならば外から見ている人にとっては大丈夫で、なかにいる人にとっては爆発しているというカオスな世界になってしまうのでしょうか?

しかしそうはなりません。特殊相対性理論の3つめの定義により「高速で動いている物体は縮む」のです。縮んで見えるのではありません。実際に縮むのです。

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ちなみにこの際、実際に動いているのは電車ですが、電車から見ると相対的にトンネルが動いているため、トンネルが縮むのです。

 

さて、このように相対性理論は、光の速度を基準に考えると、時間、重さ、長さはあいまいなものであるということを証明しました。それはつまり、あなたが見ている世界と私が見ている世界が同じではない、ということを意味するのです。

少しずつ、引き寄せの真理に近づいてきています。

 

[外堀から埋める07]相対性理論は、何を変えたのか?

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2つの相対性理論

さて、いよいよ相対性理論の話です。相対性理論は「特殊」と「一般」の2種類があり、言葉のイメージとは逆に、「一般」の方がずっと難解です。これは「特殊」は、「特殊な条件下でのみ確立される理論」であり、「一般」は「一般的な状況でも普遍的な理論」であるため。ちなみに特殊な条件下とは「等速直線運動」であり、自然界にはあまり見られません。つまりあくまで「理論」ということですね。

ではまず、その「特殊」相対性理論とは、どのようなものなのか。さっそくひとつずつ見ていきましょう。

光の速度は常に一定である

思い浮かべてください。高速道路を時速120kmで走っているとき、追い越し車線を時速140kmのポルシェが抜かしていった。ではあなたからポルシェの速度は時速何kmに見えたか?

そう、時速20kmですよね。同じ方向に進んでいるのですから、相手の速度から自分の速度を引くだけの簡単な計算です。反対に対向車線を時速120kmですれ違う車は、時速240kmに見えるわけです。お互いに時速120km同士で近づくわけですから。これが物理法則です。

光にだけ当てはまる原理

しかし「光」の場合はこれが違いました。自分がどちらに向かって、どれくらいの速度で移動していようと、光の速度は常に変わらなかったのです。秒速30万km。これが常に変わることのない光の速度です。

少し視点を変えて考えてみましょう。たとえば長さ60万kmの電車があるとしましょう。その中心で電球をつけると、先頭にも最後尾にも、光は1秒後に到達しますね。

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ではこの電車が、秒速15万kmで走っているとしましょう。あなたは電車のなかに立ち、車両の中心から、電球をつけます。

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先頭車両は秒速15万kmで逃げていくわけですから、光が到達するのに1.5秒かかるはず。逆に最後尾は秒速15万kmで近づいてきますから、到達には0.5秒。それぞれの移動距離は45万kmと15万kmになります。

にもかかわらず、この場合でも、先頭と最後尾に光は同時に到達するのです。従来の物理法則では説明のできない現象でした。

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アインシュタインは考えます。動く対象においても、光の到達速度が同じというのは、実験から見出した紛れもない事実である。ならば、その解釈を変えるしかない。

つまり、「光が1秒間に30万km移動する」のではなく、「光が30万km移動する時間を1秒とする」のだ。

1秒間という時間の概念

たとえば高さ15万kmの部屋の天井に、鏡を取り付けます。そして地面で電球をつけると、光は0.5秒で天井に到達し、反射してもう0.5秒かけて戻ってくる。だからこれは1秒です。

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しかし、もしもこの部屋が高速で移動していたらどうでしょう?

部屋のなかにいる人にとっては、光は真上の鏡に向かい、戻ってくるように見えるでしょう。しかし部屋の外から観測している人から見ると、光は下図のように斜めの経路を進んで鏡に向かい、また戻ってくるまでも斜めの経路となります。つまり移動する距離が長くなっているのです。

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これが何を意味するのか。部屋のなかから見れば光は往復30万km移動しましたから、つまり1秒が経過しました。

しかし外から見ると、1秒の時点では、まだ光は戻ってくる途中です。1.5秒経過してようやく下に光が戻ってきました。つまり、外で1.5秒経過する間に、なかでは1秒しか経過していないのです。

このように時間の経過が、絶対的ではなく相対的であること。これが特殊相対性理論が示したひとつの事実です。

少し長引いてしまいましたの(主に図版づくりに)、次回に続きます。

 

 

[引き寄せと科学02]引き寄せと科学のリンク(後編)

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多世界の存在する場所

さて、中間報告の続きです。第4回においては、次元の話をご紹介しました。

[外堀から埋める04]次元論と感覚について - 急がば回る引き寄せの法則

複数の世界が可能性として存在しているなら、それはどこにあるのか。そしてなぜその存在は知覚できないのか。その答えが次元でした。

たとえばパラパラ漫画の主人公に意志があったとしても、彼には次の紙のコマは知覚できません。なぜなら2次元世界の住人にとって、高さという概念自体がないから。どれほど近くにあっても、概念のない方向への知覚は不可能なのです。

そして私たち3次元(あるいは時間を含めて4次元)の世界においては、次の次元の方向は知覚できません。パラパラ漫画の紙のように本当に隣接する場所にあったとしても、それを知ることはできないのです。

それはまるで、私たちが漫画を読むがごとく、上の次元からこちらを見る存在があるかもしれない、ということを、否定する術がないことも意味するのです。

この世界は実験場なのか

続いての回は前回の次元の話を受けて、そこに存在する(かもしれない)高次元存在についてでした。

[外堀から埋める05]観測者という存在 - 急がば回る引き寄せの法則

常に誰かに見られている、というのはあまり気持ちの良い話ではありませんが、あるいはそれが「神」や「創造主」と呼ばれる存在の正体かもしれません。

高次元の存在は、数学理論上は確立されています。よって、存在が確かめられなくとも、否定することはできないのです。

もちろん僕も手放しで「高次元の監視者」について信じるわけではありませんが、このへんを心の片隅に置いておくと、チャネリングなどという話もいきなり笑い飛ばすことにはならないかもしれません。

引き寄せを知る上で避けて通れない「バシャール」や「エイブラハム」という存在も、少し理解しやすくなることでしょう。

科学を知るほどに、その大いなる存在が見える

第6回は少々趣向を変えて、世界的科学者たちの考えをご紹介しました。

[外堀から埋める06]科学者たちの宗教観 - 急がば回る引き寄せの法則

「神はいない」と断じるのは、こと無宗教の方が多い日本では主流となる考えでしょう。しかしその根拠を尋ねられても「論理的にありえない」としか答えられません。

その「論理的」は、本当に論理的なのでしょうか? 事実、世界的な科学者たちの多くは、科学を知るほどに、その裏にある大いなる意志の存在に気づいています。

もちろんそれが「神」という万能の存在ではないかもしれません。しかし、宇宙を知り、そのすべてを解き明かすには、人間はあまりに小さいのです。

大いなる意志があるのであれば、それは私たちにどんなアプローチをしてくれるでしょう。

次回からはまた、科学の話をご紹介しつつ「引き寄せを否定する心」の外堀を少しずつ埋めて行こうと思います。

 

[引き寄せと科学01]引き寄せと科学のリンク(前編)

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ミクロとマクロと人間世界

いくつかの視点から科学について考えてきましたが、本日はそれらの論と「引き寄せの法則」とのリンクについて。中間報告の位置付けです。

まずスタートは「量子論」のなり立ちでした。

[外堀から埋める01]古典物理学の限界と量子論の誕生 - 急がば回る引き寄せの法則

目に見えないほど小さな世界の「原子」は、原子核のまわりを電子が回るという形で構成される。まるで太陽の周りを惑星が公転するように。そしてその小さな世界は、私たち人間の世界の法則とは異なる法則で動いている。それが「量子論」の考え方。

一方で、宇宙全体の規模から見た地球は、人間から見た原子と同様にミクロなスケールの世界。人間世界の法則である「古典物理学」とミクロの世界の「量子力学」が部分的に異なるルールであるように、宇宙全体の法則と私たちの世界だけの法則が異なるということはあり得るのではないでしょうか。

宇宙の法則の側に「引き寄せの法則」があり、それが宇宙の一部たる人間世界にも適用されている。それが「引き寄せの法則」はあるけれど明確に解明されない理由なのです。

複数の可能性から、意志により選び取る

続いては「量子論」の主流である解釈について。

[外堀から埋める02]量子は複数の可能性である - 急がば回る引き寄せの法則

波と粒という異なる特徴を持つ「量子」。現在主流である「コペンハーゲン解釈」によると、観測する前は「可能性の状態で重ね合わせて存在し、観測することで確定する」ということになります。

これは「引き寄せの法則」を理解する上で非常に意味のある考え方ではないでしょうか?

引用したジョン・フォン・ノイマン博士の言葉通り、「量子」は、不確定な状態であり、「観測する」という人間の意志があってはじめて、そこに存在する。そして「量子」の集合体である物質、生物にもまた、同じことが言えるのです。

つまりそれは、私たちは意志によって自らの世界を構築しているということ。ここは今後さらに掘り下げますが、まずはこの前提について心に留めておいてください。

パラレルワールドはSFではなく、物理の話

第3回は「量子論」の「多世界解釈」について。

[外堀から埋める03]量子論の多世界解釈 - 急がば回る引き寄せの法則

前述の「コペンハーゲン解釈」が「複数の状態が重なりあって存在している」と主張したことに対し、こちらは「複数の世界が重なり合って存在している」とします。

どちらにせよ、意志による選択が状態を決定づけていることは変わりません。しかし、この「多世界解釈」の方が、より可能性のある未来をイメージしやすい気がしますね。

選ばれなかった世界はどうなってしまうのか。なぜ、いま自我のある自分はこの世界にいるのか。そんな疑問も湧きますが、私たちは常に世界を選びながら前に進んでいる、と考えると、なんだかすっきりと理解できそうです。

 

中間報告が少しかさばってしまいましたので、次回に続きます。