心の動きを見つめるマインドフルネス

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はじめに

昨日までは(無意識の)体の動きを観察することで、現在に焦点を合わせる「身随観」について考えてきました。今日はその対となる「心随観」について。読み方が同じなのが非常にややこしいのですが、これは体ではなく心の動きを追いかけましょうという感じです。もちろんこの場合の心とは、無意識の心の方です。

 自動で湧き上がる思考

「頭の中を無にしましょう」と瞑想をはじめても、勝手に浮かんでくる思考。これを「自動思考」というのですが、考えてみると不思議ですよね。「考える」ことは、僕たち人間の本質的な行為です。考えるからこそ自分がある。自分の本質は考える脳にある。「人間は考える葦である」というパスカルの言葉を引き合いに出すまでもなく、思考こそが人間の中枢であるという論に異を唱える人はいないでしょう。

しかし、自分が自分である根源にある思考を、自分で制御できないってどういうことでしょう。「考えるのをやめる」と考えているのに、脳は勝手に別のことを考える。ならば自分という存在は、誰か別の者に操作されているとでもいうのでしょうか?

その通りです。そしてその別の者こそ、無意識です。

そしてあなたの意識と無意識が、必ずしも仲良しではないことが、引き寄せが滞る一因となっているのです。このへんのお話は既出です(参考→)つまり、

 

□あなたの意識の最終目的→幸せ

■あなたの無意識の最終目的→生存

 

という違いがあり、その両者が一致しないことが多い。そして引き寄せでは無意識側の願いが優先して実現されるため、あなたの意識が望む「幸せ」がやってこないというわけです。なかなか困りますね、この無意識のヤロウ。

自動思考をただ見つめるという瞑想

勝手に思考が湧き、勝手にそれを望みと定めて実現してしまう無意識。ならば、どうすれば良いのか。その答えは、どうもしないことです。

以前にも何度も言及しておりますが、自動思考は通常は人間である限り必ず湧き上がる思考です。止めようと思っても、できません。ならば、あるがままに、湧き上がるままに、放っておくしかないのです。

鼻の下と上唇の間に意識を向けながら、呼吸に集中する。しかし湧いてくる思考。昨日の失敗、明日の不安……。ああ、湧くがいいさ。勝手にしやがれ。

それがただひとつの、自動思考との付き合い方。どれだけ不安や後悔が湧いても、ただ聞き流す。「へー、ふーん、そうなんだー」と、女友達が彼氏と伊豆高原に行った話をしてるときくらい聞き流す。ただし、自動思考が湧いているという事実自体は受け止める。これは「あ、また自動思考だ」と考えれば良いだけです。

ざっくりとではありますが、この「ただ心の動きを見つめること」が、マインドフルネスのステップ2である「心随観」の考え方です。

ただ第三者として、心の動きを見つめる。するとどうなるのか。考えてみてください。無意識を観察する、という行為がある。その行為をしているのは、消去法による無意識ではありえませんね。無意識を観察している側なのですから。つまりあなたの意識が、無意識と明確に区別されます。自我の確立です。

でも、おかしいですね。たしか引き寄せのコツは、あなたの無意識に願いを落とし込むことでした。無意識と意識が明確に区別されてしまったら、願いを届けることができなくなってしまうのではないでしょうか。

そのへんのお話、つまり瞑想から引き寄せへのシフトについて、明日から考えてみます。

 

 

 

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