幸運・不運の考え方について

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はじめに

運。なんでしょうね、これ。幸運、ツイてる、ラッキー。不運、ついてない、アンラッキー。運が良いとか悪いとか、自分ではどうにもならないことなのに、人生のなかで非常に重要な役割を果たしているみたい。そんな見えないものに一喜一憂する僕たち。

というわけで、本日は運について。

幸運・不運は捉え方次第?

幸運、不運の境目は「起きた出来事をどう受け止めるか」という心理学的解釈によるという考察があります。

有名な話ですが、パナソニックの創業者である松下幸之助翁は、成功の秘訣を問われたときにこう答えたそうです。

「私は体が弱くて、学がなかった」(実際の氏は関西弁ですが)

普通に考えればマイナス、ともすればコンプレックスになることです。しかし氏は続けます。

「体が弱いからどんどん人に頼った。結果、有能な人がたくさん集まった。学歴がないからわからないことは何でも尋ねた。結果、幅広い知識が身についた」

これが松下幸之助翁のいう「陽転思考」です。物事のどの側面にスポットを当てるか。自分で動かせない出来事を、どのように受け取るか。それが幸運、不運の別れ道というわけです。

事実、松下幸之助翁は採用面接で「自分で運が良いと思うか」という質問をし、「良いと思う」という人を積極的に採用していたとか。これは物理的な幸運、不運を問うのではなく、出来事を受け止める思考の方向性を尋ねる質問だったのでしょう。

たとえば、買ったばかりの靴を履いて出かけた日に、予想外の雨が降って靴が濡れてしまったとします。

ある人は、新品の革靴が濡れてしまった不運を嘆くでしょう。

しかしある人は、革靴の水濡れケアについて検索し、実行し、ついでに他の靴のケアもして思うのです。残ったのはすっきりとキレイになった靴たちと、靴の保全の知識。雨が降る前よりもむしろプラスである、と。

運のより物理的な捉え方

また、近年は運について、より物理現象的な視点で研究もなされ、一定の成果を出しているようです。つまり、幸運と不運という物理的因子はたしかに存在する、というわけです。そして、確率論に基づくなら、その物理的な幸運・不運の発生確率は均されるのです。

これは幸運・不運のエネルギーが同一(たとえば1000円拾う幸運と1000円落とす不運のように)である場合。結果として、それらが起きる確率は50:50に近づくというもの。たしかにこれは当然といえそうです。世界中すべての人が同時にコインを投げた場合、表と裏の割合は50:50に近づき、回数を繰り返すごとにその確率は収束していきますよね。幸運が表、不運が裏なら、それが半々になるのは確率論の基本です。

しかし個人に当てはめてみると、そうとばかりはいえません。

なぜなら確率が収束するには、人の一生は短すぎるから。
たとえば今度は世界中すべての人が、生まれてから死ぬまで1日に1回ずつコインを投げるとしましょう。全員の結果の統計を見れば、今度も裏表が半々に近いでしょう。

しかし個人単位で見てみれば、表ばかりが続く人、裏ばかり出る人もいるはず。なかには人生ずっと裏だけ、という人だっていることでしょう。

つまり試行回数を増やせば半々に収束する幸運不運も、個人の人生という短いスパンで見ればどちらかに偏ることは当然なのです。ついている人、ついていない人というのはたしかに存在するのです。

ならば、ただ手をこまねいていてはいけませんね。

引き寄せましょうよ、幸運を。

というわけで次回は、幸運を引き寄せる方法について考えてみます。