怖い話と超能力について

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はじめに

なんだかすっきりしない天気のまま夏休みも終わってしまった学生の方へのエールの意味を込めて、今日は怖い話をします。するったらします。あまり深く考えないでください。

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ずーっと以前のことですが、僕はオートバイが好きで、いわゆる走り屋?的なことをしていました。その節はご迷惑をかけてすみませんでした。

とりわけ、誰もいない夜明けの工業地帯をかっ飛ばすのが好きで、早起きしてはそんな場所に出かけていました。

ある冬の朝。まだ夜も開けきらない時間、ぽつりぽつりと灯る街灯だけが頼りの、路地も交差点もない一直線の産業道路、猛スピードで走り去る景色。そのとき、若き日のド馬鹿な僕は、ふと考えました。

「目を閉じたらどうなるのだろう?」

エンジンの爆音で、耳はすっかりおかしくなっています。冬の冷たい風に打たれて、皮膚はとっくに痺れています。五感のなかで、視覚だけを頼りに駆け抜ける道。その視覚を遮断し、五感全部がなくなるとどんな世界が待っているのだろう。

何度も走り慣れた道です。この時間は人っ子ひとりいないことを知っています。信号も交差点もなく、道は一直線です。ちょっとだけ。本当にちょっとだけ。僕は薄暗い道の上、目を閉じました。外部と接する感覚すべてを遮断した、本当のひとりぼっちです。

どれくらい時間が経ったのでしょうか。

5秒か、3秒か、もしかすると1秒くらいだったかもしれません。ふと僕は、自分が花畑の中にいるような気分になりました。黄泉の国のお花畑という臨床体験ではありません。猛スピードで走り抜ける中、突然、むせ返るような強烈な花の匂いを嗅いだのです。

驚いて目を開くと、目の前には路肩に停車した工事車両が迫っていました。急いでブレーキをかけ、間一髪で急停止。あの花の匂いがなかったら、僕はきっとこの工事車両に衝突して死んでいたことでしょう。

しばし動悸がおさまるのを待ち、僕はその工事車両の後ろにバイクを停めて、さっき花の匂いがした当たりまで歩きました。あれだけの匂いがしたのだから、きっと一面の花畑が広がっているはずです。

しかしどれだけ戻っても、花畑は見当たりません。不思議に思いながら踵を返す僕の目に、ふと小さな花が映りました。

それは交通事故の現場に供えられた、枯れかけた小さな花束でした。顔を近づけてみると、かすかに、本当にかすかに、さっき僕を助けてくれたあの花の匂いがしました。

超能力の論理的解釈

というわけで何故とつぜんこんな話をはじめたかというと、そこにひとつの示唆が潜んでいるからです。この出来事を「そこで亡くなった方が教えてくれた」という心霊現象的に解釈することもできるでしょう。

しかしより現実的に考察すれば、「他の感覚が遮断されたことにより、一時的に嗅覚が鋭くなった」という解釈も成り立ちます。もちろん、タイミングや場所などさまざまな偶然が潜んでいて、そこに超自然的な何がしかの介入も考えられます。しかし、超常現象抜きに理解しようとするなら、やはり嗅覚アップの方を採用したくなります。

で、なんの話かと申しますと、昨日の宇宙人と幽霊の話を受けて、「じゃあ超能力はどうなのさ?」という声が聞こえてきそうだったので(予想)、先手を打ってお答えしようというわけです。遠回りですね。なお冒頭のお話はフィクションとお受け取りください。

臨機応変な脳の働き

つまり、脳の働きというのはそれほどフレキシブルですよ、ということです。必要に迫られれば通常以上の力を突然発揮することもある。火事場の馬鹿力というのも同様ですね。

さらに以前の記事で思考の可視化について「脳波は微弱ではあるものの、外部に発信されている」という話もありました。もし「力が強い」とか「頭が良い」というような人間の個性のひとつとして「受信する能力に優れている」という人がいれば、この微弱な電波をキャッチすることも可能でしょう。それがいわゆるテレパスという才能なのかもしれません。

で、最終的に何を伝えたいかといえば、超能力というのはあってもおかしくないよ、人間の脳にはそれくらいの潜在能力があるよ、だから引き寄せだってあるよ、という話です。いつも使い切れていない脳の潜在能力を発揮すれば、あなたの願いを叶えることなんて、きっと簡単なのです。